卑近な例
逆像が像より自然な概念であるという話をしようとすると、多くの人は受験数学の悪しき業界用語「順像法・逆像法」に関する話だと受け止めてしまうようなので、少しだけ啓蒙的な話をしてみましょう。
写像 $f\colon X\to Y$ による $A\subset X$ の像 $f[A]$ とは集合 $\lbrace y\in Y\mid\exists x\in A.\ f(x)=y\rbrace$ のことであり、$B\subset Y$ の逆像 $f ^ {-1} [B]$ とは集合 $\lbrace x\in X \mid f(x)\in B\rbrace$ のことです。受験数学の「軌跡を求めよ」という文言は「$\Sigma_1$ 論理式 $\exists x\in A.\ f(x)=y$ を量化記号消去した上で像の集合を明示的に決定せよ」という意味です。大学入試問題に応用した例としては大学の数学の入試問題を量化子消去でサッと解く #数学 - Qiitaや数式処理による入試数学問題の解法と言語処理との接合における課題、Kyoto University Research Information Repository: 限量子記号消去アルゴリズムとその計算の現状について (数学基礎論とその応用)(2013 年の国際数学オリンピックの初等幾何が扱われています)などをご覧ください。
ここで像の定義をよく見ると
$$\begin{aligned} f[A]&=\lbrace y\in Y\mid\exists x\in A.\ f(x)=y\rbrace\\ &=\lbrace y\in Y\mid A\cap f ^ {-1}[\lbrace y\rbrace]\neq\varnothing\rbrace \end{aligned}$$
のように逆像を用いて置き換えることができます。これが由来となって「逆像法」と呼ばれているようですが、やっていることは定義通りに像を求めているだけです。
軌跡の問題については、点が軌跡上にある条件を存在量化で書いて、それを簡単な形に同値変形するのが軌跡の定義に基づいているし最も素直な方針だと思うけれど、高校生にはそうでもないのかな。
— Atsushi Yamashita (@yamyam_topo) November 1, 2021
いっぽう「順像法」というのは、グラフなどを学んだことにより直感的に値域が分かるような場合に限り、上記の定義をショートカットして値域を答える方法のことを指しているのだと理解しています。
— ぼんてんぴょん(Bontenpøn) (@y_bonten) December 28, 2017
私も老人なので大昔の話をしますと、ある友人が「逆像法の方が順像法より基本的じゃん」と理解したのを見た鉄緑戦士が「順像法の方が基本的だろう、あいつは何もわかっていない」と述べていました。
ちなみに、方程式 $f(x,y;t)=0$ が定める曲線の $t\in D$ における通過領域を求めることは、写像 $F\colon D\to\mathbf{R} ^ 2; t\mapsto\lbrace(x,y)\mid f(x,y;t)=0\rbrace$ により定義される集合 $\bigcup _ {t\in D} F(t)=\lbrace (x,y)\mid \exists t\in D.\ (x,y)\in F(t)\rbrace$ を量化記号消去した上で明示的に決定することです。
本題
というわけで算術的階層では像の方が逆像よりも上なので、逆像の方がより簡単な概念であるように思えます。
圏論的には「像には右随伴しかないが逆像には左随伴も右随伴もある」ことに帰着されそうですが、これは事態を部分的に言い直しただけのように私には思えます。詳しくは次の alg-d 氏による解説を参照してください。
この前、とある方に聞いてみると「像は情報が落ちるけど逆像は情報が落ちないんだろうね。スキーム論でも local on the base な性質の方が local on the source な性質より多く出てくるのはそういうことかもね」と極めて明快な示唆を与えてくださったので納得しました。Görtz & Wedhorn (2010) の p. 108:
(1) We say that $\mathbf{P}$ is local on the target if for every morphism $f\colon X\to Y$ of schemes and for every open covering $Y=\bigcup _ {j\in J} V _ j$ the morphism $f$ possesses $\mathbf{P}$ if and only if $f _ {\mid f ^ {-1} (V _ j)} \colon f ^ {-1} (V _ j)\to V _ j$ possesses $\mathbf{P}$ for all $j\in J$.
(2) We say that $\mathbf{P}$ is local on the source if for every morphism $f\colon X\to Y$ of schemes and for every open covering $X=\bigcup _ {i\in I} U _ i$ the morphism $f$ possesses $\mathbf{P}$ if and only if $f _ {\mid U _ i} \colon U _ i\to Y$ possesses $\mathbf{P}$ for all $i\in I$.
...Proposition 4.32.... (3) The following properties of scheme morphisms are local on the target: “injective”, “surjective”, “bijective”, “homeomorphism”, “open”, “closed”, “open immersion”, “closed immersion”, “immersion”.
(4) The property “open” is local on the source.
という話を忘れないようにメモしておこうと思ったら、いざ書いてみると別の話題に筆が進んでしまいました。
追記. その際に「□→|」のような図式を使って説明していただいたのですが、しばらく後に次のようなツイートが話題になっていました。
twitter.com写像の模式図として、2個のマルの間を矢で結ぶ
— Atsushi Yamashita (@yamyam_topo) April 25, 2022
◯→◯
みたいなのをよく見る。しかし、逆像や像についての等式を直観的に理解するためには、写像を垂直方向への射影として描写した
▢
↓
__
のような「バンドル図」の方が優れているのではないかと思っている。