『獲得』*1の p. 113 には
集合 $\lbrace ti\mid t\in\R\rbrace$ を $\R i$ と表記しています. 以下同じ記号を断りなく用います.
という注意があります. 私がこの記法に初めて出会ったのはたしか中三か高一かのときで, それはある友人が複素座標を解説する教材を作っていたのを見て「この記号はなんだ?」と思ったのがきっかけだった気がします. たとえば $\Z/n\Z$ を $\Z/\Z n$ と書くのは(幾何の人が $\Z_n$ と書くほどではないものの)割と嫌なので個人的には違和感を感じましたが, 『獲得』にも載っているので競技数学での略記なのだろうと当時は納得した覚えがあります.
最近, この手の話を意識する機会が増えたので改めて調べてみると, ちゃんと議論になっていたので思ったことをメモしておきます.
- $\mathbb{I}$ 派: 上の回答では挙げられていませんが, これは単位閉区間 $[0,1]$ なのでダメです.
- $i\R$ 派: 多数派.
- $\R i$ 派: “As we're dealing with commutative algebra (right?), $\R i$ is an acceptable variant, a distinction without difference.”
そのまま「$i\R$」と書いてある日本語の文献は次の一例しか見つけられませんでした. もちろん, $2\pi i\Z=2\pi\sqrt{-1}\Z$ のような本質的に同じものであれば, もう少し見つかります.
$$z\in i\R\iff\exp{z}\in C$$
関口晃司「対数関数のリーマン面」
ところで,
純虚数は $\Complex\setminus\R$ ではありません.
なぜでしょうか. それは $0\notin\Complex\setminus\R$ だからです (高度な政治性を有する主張)……野暮ですが解説しますと, 学校教育では虚数を $\Complex\setminus\R$ と定義するところまではよいのですが, 純虚数を (おそらく虚数の真部分集合にするためだけに) $\lbrace ti\mid t\in\R\rbrace\setminus\lbrace0\rbrace$ という最悪の方法で定義してしまうのです. そうすると純虚数は, たとえば Lie 代数 $\mathfrak{u}(1)$ をなさなくなってしまいます.
正しい定義は, $z$ が純虚数であるとは $\operatorname{Re}{z}=0$ であること, すなわち $z=\overline{z}$ であることです. 虚数であるとは $z\neq\operatorname{Re}{z}$ であること, すなわち $\operatorname{Im}{z}\neq0$ であること, あるいは $z\neq\overline{z}$ であることです. ところで, このように不等号によって定義される対象というのは, 基本的には重要な性質をもたないことが多いです. 毎度おなじみ nLab の解説を見てみましょう:
Beware that often one says just “imaginary” for “purely imaginary”. (For example, $2+3i$ is imaginary but not purely imaginary; while $0$ is the unique purely imaginary number that is not imaginary.) This may be because the imaginary numbers, as is typical for things defined by an inequality, do not form an interesting collection as a whole (for example, they are not even closed under addition). Compare irrational number.
このことは, より一般的な対象である $\ast$ 代数に注目しても窺うことができます. ここで $\ast$ 代数とは, 代数 $A$ と写像 $- ^ {\ast}\colon A\to A$ の組 $(A,- ^ {\ast})$ であって, すべての $A$ の元 $a$, $b$, $c$ に対して$$(ab) ^ {\ast}=b ^ {\ast}a ^ {\ast}\text{ かつ }(c ^ {\ast}) ^ {\ast}=c$$が成り立つようなもののことです. $\R$ 代数 $\Complex$ と複素共役 $\overline{-}$ の組はもちろん $\ast$ 代数です. 実は $A$ の元 $a$ が $a=-a ^ {\ast}$ を満たすことを $a$ が歪 Hermite であるというのですが, この組においては純虚数であることに他なりません. 一方で, 虚数であることの一般化は, $z\notin\R$ と $z\neq\overline{z}$ が乖離してしまうので綺麗には得られません.
*1:小林一章氏が監修し, 九人の JMO チューターが執筆した『獲得金メダル!国際数学オリンピック——メダリストが教える解き方と技』(朝倉書店, 2011) のことです. これは「まえがき」によると 2009 年の春合宿で用いられた教材をもとに作られたものだそうです.