負のエントロピー

なかなか面白かったのですが,今だったら『細胞の物理生物学』とかを読んでもよい気はします.ここでメモしておきたいのは「負のエントロピー」という語についてです.『キャンベル生物学』の 8.1 節を予め読んでいると以下の話が理解しやすいと思います.

まずは,岩波生物学辞典 第六版:

エントロピー ある物理的な閉鎖系で,とりうる微視的状態(乱雑さ)の数を $W$ とするとき,$k\ln{W}$ をその状態のエントロピーという($k$ はボルツマン定数).$W$ が大きければ,微視的にみて系の乱雑さの度合が大きい.逆に $k\ln(1/W)=-k\ln{W}$,すなわち負のエントロピーをもって,微視的状態の秩序の度合を表す.エントロピーの古典的概念は非平衡状態に対しては意味をもたないが,拡張された理論も展開されていて,本来非平衡状態にある生物についてエントロピーを考える場合には,このような場合がむしろ重要となる.生物は秩序の維持や見かけ上の秩序の増大を重要な特色とするから(⇒開放系),E.Schrödinger(1949)は寓意的に,「生物は負のエントロピーを食べて生きている」と述べた.(⇒熱力学第二法則)

熱力学第二法則 「孤立系(閉鎖系)内ではエントロピー変化($dS$)は,不可逆変化により負ではありえない」という法則.この法則には種々の表現があるが,生物学にとっては上記の表現が最も有用である.生体は開放系であるから,I.Prigogine(1947)は概念を拡張して,系内でのエントロピー変化($d _ iS$)のほかに,系内外間のエントロピーの輸送($d _ eS$)を考え,$dS=d _ iS+d _ eS$ として,生体が一見,第二法則に逆らうことを説明した.

シュレーディンガーは実際にどう説明しているのでしょうか.核心的な部分をメモしておきます.

60 生物体は環境から「秩序」を引き出すことにより維持されている

生物体が崩壊して熱力学的平衡状態(死)へ向かうのを遅らせているこの驚くべき生物体の能力を統計的理論を使ってどのように言い表わしたらよいのでしょうか? 前には次のようにいいました.「生物体は負エントロピーを食べて生きている」,すなわち,いわば負エントロピーの流れを吸い込んで,自分の身体が生きていることによってつくり出すエントロピーの増加を相殺し,生物体自身を定常的なかなり低いエントロピーの水準に保っている,と.

$D$ を無秩序の目安となる量だとすれば,その逆数 $1/D$ は秩序の大小を直接表わす量だと考えられます.$1/D$ の対数はちょうど $D$ の対数に負の符号をつけたものですから,ボルツマンの関係式は次のように書くことができます.$$-(\text{エントロピー})=k\log(1/D)$$

そこで「負エントロピー」というぎこちない言い方をもっといい表現に置き換えて「エントロピーは負の符号をつければ,それ自身秩序の大小の目安となる」と言い表せます.このようにして,生物が自分の身体を常に一定のかなり高い水準の秩序状態(かなり低いエントロピーの水準)に維持している仕掛けの本質は,実はその環境から秩序というものを絶えず吸い取ることにあります.この結論はちょっと見たときに思われるほど奇妙なものではありません.むしろわかりきったつまらないことだといわれるべきでしょう.事実,高等動物の場合には,それらの動物が食料としている秩序の高いものをわれわれはよく知っているわけです.すなわち,多かれ少なかれ複雑な有機化合物の形をしているきわめて秩序の整った状態の物質が高等動物の食料として役立っているのです.それは動物に利用されると,もっとずっと秩序の下落した形に変わります.——もっとも,まったく下落しきった形になるのでないことは,植物がまだそれを利用しうることでわかります.(もちろん植物は「負エントロピー」を与える最大の供給源を太陽の光に求めます.)

第六章への註 負エントロピーに関する私の議論は物理学者の仲間から疑義や反駁を受けました.私がまず第一に言いたいことは,もし私が物理学者だけの気に入るように話を進めていたとしたら,エントロピーの代りに自由エネルギーについて論ずべきであったということです.議論の脈絡からいって,この場合後者の方がより知れわたった概念です……後者(負エントロピー)は私の発見ではなくて,ボルツマンがはじめて論じたところとたまたまそっくり同じものです.

これについて巻末に鎮目恭夫氏は「21世紀前半の読者にとっての本書の意義」という文章を寄稿しており,次のような註をつけています.

註1 ただし,第六章60節(一四五ページ以下)の「負エントロピー」という言葉は,その直後の原註にもかかわらず,やっぱり誤解を招きやすい言葉だ.なぜなら,今日の物理的科学には熱力学のエントロピーと通信工学に由来する情報理論のエントロピーという二種類のエントロピーがあって,この両者が分子生物学の大学教授などによっても,しばしば混同され過誤や混乱を助長しているからだ.私はたまたま最近(二〇〇七年)出版された通俗科学書のベストセラーものの一つに,この混同と過誤の誠に見事な標本を見つけたので,ここに引用する.

「シュレディンガーは誤りを犯した.実は,生命は食物に含まれている有機高分子の秩序を負のエントロピーの源として取り入れているのではない.生物は,その消化プロセスにおいて,タンパク質にせよ,炭水化物にせよ,有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し,そこに含まれている情報をむざむざ捨ててから吸収している.なぜなら,その秩序とは,他の生物の情報だったもので,自分自身にとってはノイズになりうるものだからである.」(講談社現代新書『生物と無生物のあいだ』一五〇ページ).

この文中の「生物」を「動物」と書き換えれば,少しはましだ.それにしても,シュレーディンガーは,本書をまともに読めば分かる(『ガモフ物理学講義』,白揚社近刊の中の「生命の熱力学」の項とそこの訳註を見ればいっそう分かりやすい)ように,タンパク質などのような有機高分子の秩序を負のエントロピーの源だなんて言ったのではない.そして彼は,遺伝情報を構成する大型分子(彼が非周期性結晶と呼んだもの)は,時計の歯車のように熱力学を一応超越した(エントロピーと無関係な)個体部品だと言ったのである.

これを書いていてたまたま発見したのですが,id:nuc さんもこの件について記事を書いていらっしゃいました.

nuc.hatenadiary.org

うわさによると、シュレディンガーの「生命とは何か」の翻訳書、新しい判に翻訳者が「最近、負のエントロピーを誤解している輩がいるようであるがそういうことではない」みたいなことを書いたらしいとか。

というのはこの文章です.

余談ですが,私は小さい頃に「食べ物や飲み物に必ず書いてあるカロリーって一体なんのことなんだろう?」という疑問を抱いていたのですが,第 57 節に次のような記述があってなんだか可笑しかったです.

或る非常に進んだ国で(ドイツだったかアメリカだったかあるいはその両方だったかどうかは憶えていませんが),レストランのメニュー・カード(献立表)に値段の他に一つ一つの皿のカロリー(エネルギー含有量)が書いてあったことがありました.わざわざいうまでもないことですが,文字通りとれば,これもまったく同様におかしなことです.なぜなら成熟した生物体にあっては,エネルギー含有量は物質含有量と同じく一定です.どんなカロリーだって,別のどんなカロリーとも同じ値打があることは確かですから,単なる交換がどんなに役に立つのかは理解できないでしょう.

第六章への註 ……しかし,F・サイモン氏が私に対して指摘された点ははなはだ適切なものです.それは,私の単純な熱力学的な考察では,われわれを養う食料が木炭やダイヤモンドの塊ではなくて,「多かれ少なかれ複雑な有機化合物というきわめて秩序の整った状態」にある物質でなければならないことを説明できない,という点です.それはまったくそのとおりです……サイモン氏が私に,実際にはわれわれの食物に含まれているエネルギーの量も大切であると指摘したことはまったく当を得たことです.したがって私がメニュー・カードに熱量を記してあるのを嘲笑したのは不適切でした.エネルギーは,われわれの身体を動かす機械的エネルギーを補給するためばかりでなく,われわれが絶えず周囲に放つ熱を補うためにも必要です.しかもわれわれが熱を放出することは偶然的なものではなく,なくてはならぬ本質的なことなのです.なぜなら,まさにそうすることによって,われわれが物理的な生命の営みを行う限り絶えずつくり出す余分なエントロピーを処分するからです.

このことから示唆されるように思われるのは,温血動物の体温が割合に高いことは,エントロピーを割合に速く棄て去ることができるという利点をもっていて,そのため温血動物は比較的活発な生命の営みをすることができるということです.