書くことがなくなった

書くことがなくなった。

そもそも、なぜ書いていたのかと言えば、誰も書いていないことや、誰かは書いているがすぐには辿り着けないことを、昔の自分のために届くことのない手紙として書いていたからだと思う。一般に物事に対して「なぜ?」を問い続けることは極めて効率が悪く、そうしなければ気が済まない人間というのは生まれながらにして不幸な運命にある。

しかし、2024年9月12日にo1-previewが、そして12月5日にo1-proが登場し、推論モデルのまさにカンブリア爆発が起きてからは、そういった不運な人間たちであっても月3,000〜30,000円程度の課金によって24時間365日いつでも好きなだけ(レート制限に引っかからないだけ)「なぜ?」を問うことができるようになり、今では大学入試どころか大学院入試の問題でさえどの分野であっても(課金モデルであれば)ほとんどの受験生よりも質の高い答案が書けるようになってきたと言えるだろう。数学オリンピックでも情報オリンピックでも自然言語だけで難なく金メダルを獲得するようになり、とうてい自分の能力では人生をかけても追いつけないようなところまで到達し、その成長速度も当然自分より高いという状況になっている。

日本の数学者コミュニティもようやく少しずつこのことに気づき始めているようだが、テレンス・タオ氏などは非常に素早く精力的なAIの活用を実践していたし、自分であってもo1-proが登場した時点で身震いするほど感動し、周囲にも(話が通じる人であれば)衝撃が伝わり、さらに2025年3月25日のGemini 2.5 Pro Experimentalでついにとどめを刺された、という具合だった。当時は、まだ「人間の知性」の価値を無意識のうちに信奉しており、AIに対して冷ややかな態度を示すことで自分の何らかの優位性を保っている(ふりをしている)ような人間も多かった。ただ、それも今は変わりつつあるだろう。

このブログの記事も、AIに訊けばよりわかりやすく正確に相互対話可能な形で教えてくれるような内容のものが多い。そういった記事は本来はもう消していってしまってもよい(消したほうがよい)のだが、面倒なのでまだ手をつけられていない。AI到来以前に人生を懸けて成し遂げるべきだと考えていた仕事も、AIにやらせておけばコーヒーを飲んでいる間やお風呂に入っている間におおむね完成するようなものになる。最先端の研究であっても、すでにそうなりつつある兆しがある。

o1-previewが到来してからこの1年間は、とにかく今後どう生きていくべきなのかをよく話し合ったが、話し合ったところで自分たちの選んだ人生のレールはそうそう変えられないことだけがわかった。いずれにせよ、向かうところは遅かれ早かれ「ドボン」かもしれない。それでもなお、この時代を生きて迎えられたことに、なぜか感謝したいと感じざるをえない。