JOL2017-3 モンゴル語解説

問題設定

問題文は https://iolingjapan.org/pdf/jol2017.pdf にありますが、まとめますと

  • 流れ
  • 数字の「二」
  • 数字の「八」
  • 動詞の終止形語尾「(〜す)る
  • 僕(は)
  • 僕の
  • 僕を
  • 僕から

にあたるモンゴル語を次の対訳から抜き出す、という問題です。なお、キリル文字は前提知識とされているようです。たとえば б の大文字が Б であることや、у と ү が違う文字であることなどは分からなければなりません。

原文 訳文
УРСГАЛ БИДЭН ХОЁР 流れと僕
Наран дээр хөөрч хурцаар шарж эхлүүт л би голын хөвөөнөө огтор өмд, охор ханцуйт цамцаа тайчиж торгон зүлэгт эрэг дээрээс усан уруу үсэрнэ. が昇って明るく照り始めると、僕は川岸でズボンと半袖シャツを脱いで、柔らかい芝の生えた岸から飛び込む
Биежиж бэхжиж бүрэн чадаагүй туранхай цээжийг минь Нарийны голын ус, ёроолын хайрга чулуундаа хүргэлгүй тосон тэвэрч авна. まだ頑丈でない痩せた僕の胸を、ナリーン川のは、底の砂利に着かないように抱きかかえてくれる
Нүүр нүднийхээ усыг хоёр гараараа шувтран босож ирэхэд усан дуслууд дөрвөн зүг найман зовхист үсчин нарантуяанд солонголон алдана. 顔や目のを両手で払って立ち上がると、滴が四方八方に散って、日光に虹を作って消える
Усны мандлаас загас мэт дээшээ год үсрэн эргэж дахин шумбахад намайг босгохгүй гэсэн мэт урсгал шилэн дээрээсээ сэгсрэнгээ цовхорч босно. 面から魚のように飛び上がって向きを変えてまた潜ると、僕を立たせないというような流れを首筋から振り払いながら跳んで立つ
Урсгал эрэг өөдөө хальж алдан зугтана. 流れは岸にあふれて消え失せる
Чингэснээ эргэж сав голдирол уруугаа бултан буцна. そして向きを変えて川底へ逃げ戻る
Би түүнийг хөөж усан мандал дундуур ахин шунгав. 僕はそれを追って面からまた潜った。
Алиахан урсгал надаас алслан бултлаа. いたずらな流れ僕から遠ざかって逃げた。
Наран булхсан урсгалтай зуны өдөржин хөөцөлдөн тоглож чийрэгжсэн бага нас минь. をめっきした流れと夏の終日追いかけ合って遊んで丈夫になった僕の少年時代。
Урсгалд хэчнээн дусал байдаг бол, тэр бүхэн л Нарийны голын төдийгүй цагийн гүйдэл хэм хэмнэлсэн болов уу даа? 流れにどれだけ滴があるのか、その全てがナリーン川の、そして時の流れを刻んだのだろうか。

頻度解析

まず頻度解析するだけで決定できるものを当てていきましょう。

  • 流れが最も多い上に題名にもあるので適当に見ることで урсгал と決め打ちできます。
  • は二箇所しかなく、しかも共有している語は наран しかないのでよいです。
  • 僕のは二箇所しかなく、しかも共有している語は минь しかないのでよいです。
  • はかなり多く、文を眺めると ус で始まる語がちょうど同じ数出ていることがわかります。さらに2行目では「水は」という主格(一般に主格が無標なことが多い)な上に、実際最も短い ус が存在するのでこれで確定できます。
  • 僕はは二箇所ありますが、共有している語は би と усан の2つです。しかし先ほど усан が水系統の語であることを確認しましたので、би だと決められます。
  • すると題名 УРСГАЛ БИДЭН ХОЁР は「流れ」「僕?」「と?」という対応ではないかと予測がつきます。しかし訳文の「と」に対応する原文には хоёр が見当たらないため、並列ではない特殊な語ではないかと考えます。逆に хоёр があるのは「顔や目の水を両手で払って立ち上がると、水滴が四方八方に散って、日光に虹を作って消える。」というところです。並列のイメージが先行すると、まず「や」の部分ではないかと考えてしまいますが、その論理だと題名は「流れや僕」が正しい訳となるはずです。
  • ここで数字系を探してみると「二」はどこにもありませんし「八」は四方八方にしかありません。おそらくモンゴル語の言い回しと同じなのだろうと信じて、この行にあると確定します。では「二っぽい」要素はどこにあるかといいますと、「両手」にしかありません。
  • 上の二つの考察から、хоёр が実は数字の「二」を指していて、「流れと僕」は少し特殊な用法だったのではないかと考えられます。

ここまでは別に言語学的な考察をせずとも整理してほんのわずかで自然な類推を効かせるだけで当てられます。問題はここからです。残っている敵のうち「八」「僕を・から」はどれも一文にしか出てこないので必然的に文構造を考え始めないと分からないし、動詞の終止形語尾など分かるはずもありません。これが「パズル」の限界です。

構文解析

では「パズル」を超えた「言オリ」特有のものは何かといえば、それこそがまさに言語学の知識に他なりません。言語学オリンピックと名を冠している問題が言語学の知識を本当の意味で一切必要としなかったらただの IQ パズルになってしまいますし、逆に言えば言語学の(特に類型論的な)知識や技術がある程度身に付きさえすれば後はひたすらパターン化する作業に落とし込むことができるということでもあります。もちろん、言語学的知識を有していなくとも、実際の試験場でセンスや勘に基づいて判断することは可能です。しかし理詰めで解く上では、多かれ少なかれ知識が必要になるのは(価値判断を差し置いても)事実です。

本問で前提とされている知識はただ一つ:モンゴル語の基本語順が SOV 型であるという一般的な常識です。それに加え、言オリに挑戦する上では必ず手元に置いておきたい一冊である

の第5章「言語の多様性と類型」の p. 146 にある次の言語学的知識が必要です。

文のその他の構成素の語順や、文の構成素の内部の語順は、基本語順と非常に高い相関を示すことが知られている。たとえば、副詞句など主語・目的語以外の名詞句(X)と述語動詞の相対的位置、形容詞と名詞の相対的語順、数詞と名詞の相対的語順、属格名詞と名詞の相対的語順、および、名詞とともに後置詞(postposition)を使うか、あるいは前置詞を使うか、などは、基本語順が SOV 型の言語と VSO 型の言語とでは、おおむね表 5.2 のような対照的な傾向を示すことが明らかになっている。

SOV 型(+) VSO 型(−)
a. X+動詞 動詞+X
b. 形容詞+名詞 名詞+形容詞
c. 属格名詞句+名詞 名詞+属格名詞句
d. 名詞+後置詞 前置詞+名詞

つまり誤解を恐れずに言えば、日本語とおおむね同じような語順の原理を持っていると想定して解き進めてしまって問題ないということです。

動詞の終止形語尾

まず訳文で現在形動詞の終止形が出てくる箇所を探し、対応する文の語末を見ると на が4つ、но と нэ が1つずつあります。どれも н+母音 で終わっており、そのような単語はこれらしかないので確定してよいです。母音が何個あるか知りませんので、とりあえず -на, -но, -нэ としておけばよいでしょう。

僕から

よく見ると Алиахан урсгал надаас алслан бултлаа.「いたずらな流れ僕から遠ざかって逃げた。」は文構造が簡単そうです。おそらく「いたずらな」が Алиахан でしょう。そしておそらく「遠ざかって逃げた」が алслан бултлаа なのだろうと予想がつきます。一応確証を得るためにいくつか見ますと、次の表のようにちゃんと動詞が2つ連なっていて同じ語尾のものが発見されます。モンゴル語の動詞にはいくつかの活用パターンがあるのでしょうが、少なくとも -ан で次の動詞に続けるタイプの動詞があることは保証されました。というわけで僕からは надаас です。

原文 訳文
Урсгал эрэг өөдөө хальж алдан зугтана. 流れは岸にあふれて消え失せる
Чингэснээ эргэж сав голдирол уруугаа бултан буцна. そして向きを変えて川底へ逃げ戻る
Алиахан урсгал надаас алслан бултлаа. いたずらな流れ僕から遠ざかって逃げた。

僕を

Усны мандлаас загас мэт дээшээ год үсрэн эргэж дахин шумбахад намайг босгохгүй гэсэн мэт урсгал шилэн дээрээсээ сэгсрэнгээ цовхорч босно.「面から魚のように飛び上がって向きを変えてまた潜ると、僕を立たせないというような流れを首筋から振り払いながら跳んで立つ。」を考察しましょう。

  • まず мэт がそっくりそのまま2つありますが、場所的に「ように・ような」の意味であると考えられます。
  • ここで мэт урсгал のような語順になっていることから、その前に修飾節があると想定します。
  • さらに語末の босно と(おそらく「流れ」を修飾する)босгохгүй はとても似ているので、訳文から「立つ」系の語であることがわかります。増えている語尾は「立たせない」というニュアンスを込めているのでしょう。
  • гэсэн はおそらく訳文から類推すると「〜という」なのでしょう。

ここまで分かると намайг なのではないかと訳文を見て高い確率で予測がつきます。もうここで賭けに出るべきなのですが、さらにどうしても傍証が欲しければ

原文 訳文
Нүүр нүднийхээ усыг хоёр гараараа шувтран босож ирэхэд усан дуслууд дөрвөн зүг найман зовхист үсчин нарантуяанд солонголон алдана. 顔や目の両手で払って立ち上がると、滴が四方八方に散って、光に虹を作って消える。
Усны мандлаас загас мэт дээшээ год үсрэн эргэж дахин шумбахад намайг босгохгүй гэсэн мэт урсгал шилэн дээрээсээ сэгсрэнгээ цовхорч босно. 面から魚のように飛び上がって向きを変えてまた潜ると、僕を立たせないというような流れを首筋から振り払いながら跳んで立つ

を見てみると「…上がると…」が ирэхэд と、(先ほどの予測で行くと)「…潜ると」の шумбахад は語尾がここだけ一致しています。どうやら「時間関係を表す語尾」もいくつか存在しているようですが、これらはここだけ見事に一致しているため、偶然とは言えないでしょう。

先ほどの表を見ると対応する箇所は усан дуслууд дөрвөн зүг найман зовхист үсчин「滴が四方八方に散って」です。

ここで Урсгалд хэчнээн дусал байдаг бол, тэр бүхэн л Нарийны голын төдийгүй цагийн гүйдэл хэм хэмнэлсэн болов уу даа?「流れにどれだけ滴があるのか、その全てがナリーン川の、そして時の流れ*1を刻んだのだろうか。」を見てみると、ここにも「滴」という言葉が出ています。比較すると дусал が дуслууд に似ています。

したがって日本語と同じ言い回しでいてくれることを信じて、дөрвөн зүг найман зовхист が「四方八方」なのだと考え、найман を「八」とします。ここでは四方八方「に」な上に、усан は ус が無標であったことを考えると найм にしてもよいでしょう。実際、найм が普通の数詞で、найман がН交代語幹なので、公式の発表している解答には認められてはいませんが正しい答案ではあります。

講評

2017年は大問1も大問2も数分以内に完答できるようになっており、余った1時間以上を大問3に注ぎ込むという戦略しかないはずです。一見すると恐ろしく難しい問題のように思えますが、頻度解析という単純作業で10個のうち6個が当てられるようになっていますので、ここが大きく差が付くところだと考えられます。そこからの4問は、ほんの少し頭を使って典型的なパターンに落とし込みさえすればちゃんと正しく満点が狙えるものになっており、決して無理難題というわけではないことが実感できるはずです。やはり満点近くを得点できるように回答したいセットだと言えるでしょう。

*1:「時の流れ」は少し比喩的なので同じ系統の語ではないのでしょう。公式回答では「流れ」に対応する語として гүйдэл も正解にしています。