日本語同好会で次の質問が投稿されていました。
思っきしってどこの方言?
明白な事実は元の形が複合動詞「思い切り」だということです。これが「思いっき{り/し}」「思っき{り/し}」に変化するわけですが、ではなぜ「い」だけが削除された「思き{り/し}」が存在しないのかを考える必要があります。
「思っきり」の方は通時的に
omopi + kiri > omopikiri > omopi̥kiri > omokkiri
という東国方言での音韻変化(母音の無声化・子音の逆行同化)によって理解することができ、それと同時に今のところ omokkiri > omokiri を導く音韻規則がないことから「思きり」への道が閉ざされています。「思いっきり」の方は共時的に、立石 (2012) の提唱する「事象の臨場性の体験の表現」(eventual evidentiality expression)としてのアクセントを伴う形態素「-っヿ(-Q)」に由来すると考えるべきでしょう。実際、たしかに「思ヿい」は「思いっヿきり」になると平板化します。
問題は「り」が「し」に変わる音韻変化 r > s / V_i です。
- あんまし
- がっくし
- がっちし
- がっつし
- からっきし
- きっちし
- これっきし
- さっぱし
- そのかわし
- ちょっぴし
- どっぷし
- はっきし
- ばっちし
- びっくし
- ぴったし
- やっぱし
- ゆっくし
たぶんこのくらいでしょうか。ちなみに私は「そのかわし」が全然分からなかったので本当に用例があるのか訝ってしまったのですが、ちゃんと存在しました。
わしは、はつきり言うと、好きで好きでたまらんていう相手でないともらわんに。そのかわし、これが好きとなつたら、向うがなんと云つても引つ張つてくるに。
飯間氏は次のような用例を紹介しています。
NHKの朝の連続テレビ小説「天うらら」を楽しみに見ていましたが、先週で終わってしまいました。ところで、8月の初めに、このドラマを見つつ書きとめ、そのままどこかに行っていたメモが今ごろ出てきました。
ハツ子「はっきし言って、わたしはあなたのことよく知りませんし〔下略〕」(1998.08.07 12:45 NHK「天うらら」)
ハツ子(池内淳子)は、ヒロイン・うららの祖母で、江戸の下町で育ったという設定です。娘の再婚相手に対してこう言ったんですが、「はっきし」というのは今の若い者が使うのだとばっかり思っていたので、はて、これは下町ことばの先生の指導によるのかな、と疑問に感じました。アドリブじゃないんだろうか。
「わりかし」は、比較的最近のことばです。「わりかた(割方)」の俗な言い方として「わりかし」が広まったのは東宝映画の「お姐ちゃん」シリーズからだといいます(見坊豪紀『ことばのくずかご』p.117)。「お姐ちゃん」とは、重山規子・団令子・中島そのみの三人娘で、1960年代初めに活躍していました。
古いのは「やっぱし」。1785(天明5)年の「深川手習草紙」に「是でもやつぱし懲りねへのさ」とあるし(『江戸語の辞典』)、それ以前に京都の安原貞室の著「かたこと」にも出ています〔引用者注:1650年の作品。用例は「其儘そこにあれと云べきを。やつぱり。やはり。やつぱしなどいふは如何」〕
「ばっかし」もこの「かたこと」に出てきます。『江戸語の辞典』では「多く女性用語」とあります。
とまあ、「~し」のつく言い方も、新旧いろいろあるわけです。発祥としては、江戸なんだろうか、上方なんだろうか。
井上史雄著『日本語ウォッチング』(岩波新書)に考察があります。全国規模で調査すると、現代では「ぴったし」「さっぱし」「ちょっきし」「はっきし」「あんまし」「びっくし」などが、「中部地方・近畿地方など各地で、かなり使われている」(p.99)らしい。とくに「中部地方や西日本の方言では、老年層がさかんに「やっぱし」を使っている」(p.98)そうです。「やっぱし」についていえば、「そこから東京の口語に入ってきたのだろう」と推測しています。
ただし、関東や中部の方言でも「そのかわし」「これっきし」などというのがあるそうで、してみると関東で独自に発達した「~し」もあるのかもしれません。「はっきし」が、ハツ子ばあさんの少女時代に、東京の下町で使われていたかどうかは、これだけではよく分かりませんでした。
大阪の知人に、この「~し」を多用する人がいます。訪ねて行ったとき、「ゆっくし」と言っていたような気がしたので本人に確かめたところ、
「あんまし、いいまへん。ご指摘の表現については、はっきしわかりまへんなぁ。ちょっぴし、気にかかりはったんやったら、きっちし覚えて帰えんなはれ」
と言われました。
ここで「中部地方・近畿地方」と書かれていますが、私が調査した限りでは九州地方も該当しています。一般的には東京方言としてのみ扱われることが多いようですが、これは割と全国的に見られる現象のようです。他にも次のような記述を見つけました。
一方、現代の方言会話の資料によると、東京の人も使うが、中部地方や西日本の方言では、老年層がさかんに「やっぱし」を使っている。このことから「やっぱし」も東京への逆流型と言える。さらにもう一段階変化した「やっぱ」も、江戸時代に例が見られる。各地方の会話を文字化した資料によると、老人の普段の言葉として「やっぱ」が聞かれる。これも、現在全国的に使われているものの、特に中部・関西地方で多く使われているそうだ。
「り」が「し」になるのは、これだけではない。東京でも地方でもこれに似た変化が一斉に起こっている。長年にわたり様々な文献から日本語の用例を集めてきた見坊豪紀氏によると、文献初出は1970年の「あんまし」「ぴったし」「にっこし」である。その後も「し」になったり、脱落したりする語の例は着実に増えているそうだ。(「はっきし」「さっぱし」「びっくし」など)このような語の変化は、語の最後でRの発音を怠って、声帯の動きをサボって声を出さずにしまうと、Sとそっくりの音になることから来る。その流れのせいか、「やっぱし」「やっぱ」等はいくら普及しても、俗語のレベルを超えることは当分ないと思われる。
ここの「語の最後でRの発音を怠って、声帯の動きをサボって声を出さずにしまうと、Sとそっくりの音になることから来る」という部分は妥当な記述ではないと思います。他の子音が r 音に変化するのは rhotacism という有名な現象なのですが、その逆は非常に稀で、しかも s 音ではなく l 音ぐらいしか例がないらしいです。したがって、この原因は祖音素やかなり古い時代の音声に遡ると考えられるようです。私が見つけた中で一番古い用例はこちらの12世紀のものです。
ヤ〈ツ〉ハシ引キコウテ居タラハ此僧モ天下ノ人モ恁麼トモ窺イ得マシイ者ヲトサワツタ(『碧巌集抄〈川僧抄〉』44ウ「ツ」は右傍補入〔筆者注:「ツ」は右傍に補入されていて、天文四年の書写の際に補われた可能性もある。〕)
〈ヤワリ〉はまず〈ヤッパリ〉へと変化した(ヤツハシは早くに『碧巌集抄〈川僧抄〉』に見られる)。そして、その〈ヤッパリ〉から〈ヤハリ〉が生まれたと考えるのである。