訳者解説
分子生物学を学べば必ず「半保存的複製・保存的複製・分散的複製」の三つを知ることになるが,保存的複製はまだ理解する余地があっても,分散的複製は一体なぜそのような複雑怪奇なモデルが提唱されたのか皆目見当も付かないのではないだろうか.この謎には『キャンベル生物学』も(たとえば原著第 12 版の p. 322 にあるように)
保存的モデルと分散的モデルによる DNA 複製の機構は考えにくかったが,可能性が残っている間は排除できなかった.
のような簡潔すぎる記述しか与えておらず,むしろより一層「なぜ分散的複製が提唱されたのか?」という疑問が深まるばかりである.そして実際に,2022 年の慶應義塾大学医学部の生物でこの謎が出題されてしまった.
Ⅱ ……しかし,このワトソンとクリックのモデルは(1)2本鎖がほどけることが物理化学的に困難であると考える科学者たちには受け入れられなかった……
問2 下線部(1)に関連して答えよ。当時の科学者たちは,どのような理由でDNA2本鎖がほどけることが難しいと考えたのか,あなたの意見を述べよ。
実は,この答えの鍵が『Essential 細胞生物学 原著第 5 版』の pp. 202-203 に書かれている.
今ではワトソンとクリックの複製モデルが正しいとわかっているが,当初は広く受け入れられはしなかった.たとえば,物理学から転じた著名な遺伝学者デルブリュック Max Delbrück は,自身でいう “くるくるほどけない問題” にこだわっていた.あれほど長くてたがいに何回もより合わさった二重鎖の 2 本の鎖が,いったいどうすれば,絡まって滅茶苦茶にならずにほどけるというのか.DNA らせんをファスナーのように開いてほどくというワトソンとクリックの考えは,デルブリュックにしてみれば,物理的にあり得ない,“あまりに厄介で効率の悪い” 方法に思えたのである.
デルブリュックは代わりに,DNA の複製が切断と再結合を繰り返して進行すると考えた.DNA 主鎖を切断し,短い範囲(1 回に 10 塩基程度)をコピーしてふたたびつなぐというモデルで,後に分散的とよばれた.生じるコピーは元の DNA と新しい DNA のつぎはぎになり,どちらの鎖も新旧の DNA が混ざったものになる(図 6-5B).らせんをほどく必要はない.
今回訳したのは,まさにこのデルブリュックの原論文「デオキシリボ核酸(DNA)の複製について」であり,底本には doi: 10.1073/pnas.40.9.783 を選んだ.著作権自体は(2022 年現在)まだ消滅していないが,10 年留保を使うことで日本語に翻訳し公開することはできると考えられる.
なお,この論文が 1954 年に発表され,かつ後にメセルソンとスタールによって棄却されることとなったことからも窺えるように,現代の分子生物学の用語法からは非標準的な言葉遣いが散見されるので,ここでは現代の読者が可能な限り問題なく当時の思考を理解できるように訳すことを重視した.
デオキシリボ核酸(DNA)の複製について
デオキシリボ核酸(DNA)の複製について
マックス・デルブリュック
カリフォルニア工科大学ケルクホフ生物学研究所
1954年5月18日 伝達
ハーシーとチェイスがファージにおける遺伝情報の伝達で DNA の果たす役割を発見したこと*1や,ワトソンとクリックが DNA の構造を発見したこと*2によって,DNA の複製に関する問題に焦点が当てられるようになった.ワトソンとクリックが提唱した構造は,二本のポリヌクレオチド鎖が共通の軸のまわりにらせん状に巻かれ,プリン塩基とピリミジン塩基の側鎖を水素結合で互いに結合させたものである.この二本鎖の側鎖は,アデニンとチミン,グアニンとシトシンが常に一致するように配列されている.どちらの鎖の塩基配列にもまったく制約はないものの,一方の鎖の塩基配列が決まれば,他方の鎖の塩基配列は完全に決定されてしまう.とすると,この塩基配列が遺伝情報であり,四つの記号からなる暗号で書かれた一直線上の伝令ということになる.二本鎖からなる二重鎖は,二重に冗長な情報を含んでいる.五炭糖が鎖の前後のリン酸基と結合する 3 位と 5 位が等しくないので,それぞれの鎖には極性がある.この極性は二重鎖の二本鎖において逆向きに伸びている.
ワトソンとクリックは,二重鎖の鎖が分離してそれぞれが相補鎖の合成を触媒する過程によりこの構造が複製されると提唱した*3.これを模式的に表したのが図 1 である.
相補鎖の合成は,両方の親鎖に沿ってファスナーのように起こると想像される.合成が $n$ 番目の点まで進んだとき,新しい鎖の $n$ 番目のヌクレオチドと古い鎖の $n+1$ 番目のヌクレオチドで形成される隙間が,新しい鎖の $n+1$ 番目のヌクレオチドとして正しいヌクレオチドを挿入することと,三つの誤ったヌクレオチドを拒絶することに適した酵素の表面を提供する.
この機構の最大の難点は,二本鎖が互いに多数回巻き付いていることであり,したがって先ほど説明した過程により生成される娘二重鎖も互いに同様に多数回巻き付いているということである.娘二重鎖を分離するには三つの方法がある:(a)互いに縦に滑らせる方法,(b)二つの二重鎖を互いにほぐす方法,(c)切断と再結合を行う方法である.
最初の二つの可能性はあまりにも効率が悪すぎるので却下し,三番目の可能性を分析することを提案する.
二重鎖の二本鎖を横に反対方向へ動かすことで分離しようとすると,らせんの一回転ごとに,つまり十ヌクレオチドごとに絡まってしまう.このような絡まりは二つの方法で解決できる:(a)一方の鎖を切断し,他方の鎖を隙間に通し,切断された端を再結合する(図 2,a).(b)両方の鎖を半回転ごとに切断し,十字型に再結合する(図 2,b).
ここで,両方の機構を棄却することにする.一つ目の機構は二本鎖が(そのうちの一つだけが切断されて)非対称になるので構造の対称性に反するからであり,二つ目の機構は反対の極性をもつ鎖を再結合することが化学的に許されないからである.したがって,切断と再結合によって一つの二重鎖の二本鎖を分離することはできないと結論づけられる.しかし,複製中の二重鎖を考えると,状況は一変する.ここで,二本鎖に沿って $n$ 番目のヌクレオチドまで同調的に複製が進行している二重鎖を考えよう.この点を「成長点」と呼ぶことにする.いま $n$ 番目と $n+1$ 番目のヌクレオチドの間にある古い鎖をどちらも切断すれば,切断部の下端は,切断部の上端ではなく,同じ極性をもつ新しい鎖の開放端に結合できる.このとき,切断部の上端は複製過程を続けるための開放端となる.この過程を図 3 と図 4 に示す.図 3 では切断と再結合の側面図を示す.
図 4 は,複製されている二重鎖を上から見た連続した断面図であり,成長点近傍の連続したヌクレオチドごとに一つの総断面が示されている.
下の断面は成長点の下方にあり,二本鎖が共通の軸のまわりに一ヌクレオチドあたり $36\degree$ ずつ回転し,上方に進むにつれて反時計回りに回転する様子(右巻きらせん)を示している.上の断面は成長点の上方にあり,二つの娘二重鎖を示しており,それぞれにおいて娘二重鎖の鎖がそれぞれの二重鎖の軸のまわりに回転していることを示している.成長点が一段だけ下がると,親二重鎖に相補的な次の二つのヌクレオチドは,向きを変えずにそれぞれ左と右へ横に移動しそれぞれに新しい相補的なヌクレオチドが娘二重鎖の新しい鎖の次のヌクレオチドとして付加される.この過程がヌクレオチドからヌクレオチドへと続いていくと,らせんの半回転ごと,つまり五ヌクレオチドごとに障害物が生じてしまう.これらの障害物は,図 3 の側面図と図 5 の断面図に示すように,半回転ごとに切断と再結合を行うことで解消できる.
化学的には,これらの切断と再結合は,一つのヌクレオチドの結合を別のヌクレオチドの結合と交換すること,つまりトランスヌクレオチド化に相当する.この過程ではエネルギーは消費も解放もされない.必要な活性化エネルギーは,おそらく新しいヌクレオチドを付加するのに必要な活性化エネルギーと同じである.というのも,DNA 前駆体のプールはおそらく遊離したヌクレオチドとしてではなく,結合する予定の官能基が化学基に結び付けられ,それが新しい相手と交換されるような形として存在しているのであろうから.
この過程により生成される娘二重鎖は最初から正しく巻かれており,実際に親鎖がねじれることは一切起こらない.
二本鎖を同調的に下りながら相補形成が進行することは,ここで提唱された機構の魅力的な特徴だと考えている.つまり,どんな時でも二重鎖の短い一部分だけが「作業区画」になるのである.この区画だけが,安定した二重鎖と異なる構造になるのである.このことには二つの魅力がある:(1)どんな時でも親二重鎖を分離するのに必要なエネルギーが最小になる,(2)二重鎖の全長は完全に伸ばすと細胞内の空間に比べて非常に長くなってしまうので,超らせん化(あるいは,より尤もらしくなくなるが,折りたたみ)のような過程により二重鎖の実際の長さは非常に短くなっているはずである.作業区画が,かつ作業区画だけが,前駆体のプールと直接接触していなければならず,したがって近傍のらせんや折り目による障害物がないことが必要である.作業区画が短い一部分しかなければ,ミシンで大きな布を針にかける部分だけを平らにすればよいように,この区画だけがまっすぐに伸ばされているのだと考えられる.
ここで提唱された機構が意味する重要なことは,娘二重鎖の鎖が親のヌクレオチドと同化されたヌクレオチドの交互に並ぶ部分からなっており,それぞれの部分の長さが平均五ヌクレオチドとなるということである.もし標識された二重鎖が標識されていないプールを用いて繰り返し複製されるならば,このモデルによれば,標識は連続した各複製において娘二重鎖に統計的に等しく分配される(図 6,a).切断と再結合がなければ,標識の分配は最初の複製でしか起こらないだろう.その後の複製では,一方の娘二重鎖は標識をすべて受け取るが,他方はまったく受け取らない(図 6,b).
現段階では,この意味するところが,生殖周期のさまざまな段階でファージ感染中心に組み込まれた P32 の崩壊による死亡率に関するステントの実験*4へどのような影響をもたすのかについて議論することはできないようである.死亡率に関するこれらの実験は,多重感染回復という現象,つまり異なる二重鎖間の相互作用によって複雑になっているが,その性質は依然として不明である.
奇数回だけ交換するたびに鎖の開放端が親物質になるという事実も,ここで提唱された機構の意味するところである.新しいヌクレオチドを付加することが可逆的な過程であれば,親のヌクレオチドからなる開放端は,親の標識されたヌクレオチドとプールからの標識されていないヌクレオチドが交換することを可能にするものである.このような交換反応によって,植物性ファージ粒子の集合体から複製周期あたり最大 10 % の標識が失われると推定される.一回の菌体内増殖周期の間に五回から十回の複製周期があるので,このような損失は,親の P32 が子孫へ低い値で(30 % から 50 % で)伝達されることが観察されたこと*5を容易に説明できるだろう.
もう一つの意味するところは,環状染色体に類似した仮想的な環状二重鎖に関するものである.第一に,このような環状二重鎖は必ず整数回だけ回転している.半整数回の回転であれば極性の異なる鎖を結合しなければならなくなるからである.第二に,きっかり一回転ごとに二組の切断と再結合があれば,娘二重鎖は分離された環になる.大きな環でこのような正確な一致がどのくらい可能なのかはひずみの関係が詳しくはどうなっているのかに依存しており,現段階ではこのことについてほとんどわかっていない.いずれにせよ,どんなに具体的な不等式が成り立っていることよりも,厳密な等式が成り立っていることの方が尤もらしいはずであり,その絶対的な確率は環が小さくなっていくほど大きくなっていくはずである.
要約.——ワトソンとクリックは DNA が複製される機構を提唱した.この機構では,親構造の相補鎖のそれぞれに,相補的なポリヌクレオチド鎖が合成される.本論文では,娘二重鎖の分離を妨げてしまう絡まりを解消するための機構を提唱する.
(1)相補的な合成が二本鎖に沿って同調的に進行し,(2)合成が進行するにつれて,鎖がらせんの半回転ごと(五ヌクレオチドごと)に成長点で切断され,切断点の下端が直ちに新しい鎖の同じ極性をもつ開放端に再結合すると仮定される.この機構が意味するところもいくつか指摘する.
*1:A. D. Hershey, and M. Chase, J. Gen. Physiol., 36, 39, 1952. (訳注: doi: 10.1085/jgp.36.1.39)
*2:J. D. Watson and F. H. C. Crick, Nature, 171, 737, 1953. (訳注: doi: 10.1038/171737a0)
*3:J. D. Watson and F. H. C. Crick, Nature, 171, 964, 1953; Cold Spring Harbor Symposia Quant. Biol., 18, 123, 1953. (訳注: doi: 10.1101/SQB.1953.018.01.020)
*4:G. S. Stent, Cold Spring Harbor Symposia Quant. Biol., 18, 255, 1953. (訳注: doi: 10.1101/SQB.1953.018.01.036)
*5:L. M. Kozloff, Cold Spring Harbor Symposia Quant. Biol., 18, 209, 1953. (訳注: doi: 10.1101/SQB.1953.018.01.032)