『言語学第2版』第2〜4章は読むべきではない

言語学の標準的な教科書である『言語学第2版』には,現代的な観点からはいくつかの問題点が認められています。この記事では,初学者の困惑や誤解を防ぐために,第2〜4章の町田(2004)の問題点を重要度に応じて星の数を増やしたうえで列挙いたします.ただし,第2〜4章は特に問題点が多く存在するため,私個人だけの感想としては,初学者は読まない方が良いと感じたことをあらかじめ記させていただきます.

この記事を公開するにあたって有益なご意見やご感想をくださった方々に感謝を申し上げますが,仮に誤った指摘や不適切な説明があればそれはすべて私個人に責があります.また,もしそういった点がありましたら,ぜひコメント欄やお問い合わせフォーム,Twitter の DM などでご教示いただけると幸いです.

書評(20231121追記)

権威をこういった形で利用するのは躊躇われたので当初は意図的に書かなかったのですが,一個人ブログの意見では心許ないと感じる方が多いかもしれないと思ったので追記すると,実は本書の書評のいくつかでは第5〜7章(特に第7章)は絶賛されている一方で,第2〜4章は微妙に除外されているように読むこともできそうです(下線は引用者).

この本はまさに現代言語学の基本事項をバランスよくまとめている。特に第5章の類型論、第6章の歴史言語学、第7章の音声学・音韻論は言語学の初学者は熟読しておくとよいと思われる。残念ながら、この本では社会言語学について扱っていないので、他書で補う必要がある。また統語論については本書と並行してやはり他書も読んでおくべきだろう。

林(2016: 264)

いろいろな人が書いているので、章によって偏りがありますが、東大出身の諸先生が著した本格派の入門書です。特に後半の類型や歴史、音声・音韻の章は深い問題に触れていて、ためになります。

風間・山田(2021: 75)

風間喜代三 et al. (eds.) 2004. 『言語学 第2版』東大本郷言語学専修課程の教科書。古典的な基本事項はおおむねカバーしており、音声・音韻の解説は特に質が高いが、統語論や意味論の記述は手薄で、別書で補う必要あり。 #LingBooks

★★★★

この★★★★には,性差別的な記述が大量に含まれているので,気分を害したくない方は★★★まで飛んでいただくことを推奨いたします.

98ページ9〜10行目

人間の集合は必ず男か女の集合に属しその中間はない(ことになっている)

98ページ16〜17行目

「人間」の集合は「性」という観点からは「男」と「女」の2つにしか分割されず,それ以外の集合に属することはない

98ページ23〜24行目

「その人は男ではない」という文の意味は,「その人は女だ」という文の意味と同じになる9)

9)ただし,「その人は男ではない」という文が比喩的な意味を表す場合は別である.この文が比喩的に用いられているのだとしたら,「その人は男に期待される行動をとっていない」つまり「その人は男らしくない」という意味を表す.

133ページ2〜14行目

例えばプロ野球の選手に,次のような質問をしたとしよう.

(68)あなたは男ですか.

この質問をされたプロ野球選手は,不愉快な思いをするだろう.なぜならば,このような疑問文を話し手が発するのだとしたら,その選手が男ではないかもしれないと疑っていること,言い換えれば,「あなたが男かどうかを私は知らない」という前提があることを意味するからである.プロ野球選手は男に決まっていて,話し手もそれを知っているはずだから,その選手が男かどうかを知らないという前提をもつ文を言われたのであれば,言われた方は不快に思うのも当然である.つまり,今考えているような場面では,この文は適切に使用されていないということである.この疑問文が適切に使用されることができるとしたら,女性の格好をした複数の人間の中に必ず男がいることがわかっているような場面を想定しなければならない.

★★★

57ページ1〜2行目

(以下,「語」と「形態素」を特に区別する必要がない場合にはすべて「語」と呼ぶことにする)

この「語」と「形態素」を同一視するという雑な取り決めによって,第2〜4章の全体を通して曖昧性が大きく増しており,初学者が正しい意味を判別するのは極めて難しいように思えます.たとえば,次のような記述の行間を初学者が適切に埋めることができるとは思えません.

「追いかけていた」は,「追いかけ」「て」「い」「た」という4つの語で構成される単位である.(61ページ25〜26行目)

そもそも、『言語学第2版』は「語」の定義に真っ向から向き合うということをしないだけでなく、日本語の格助詞を論じるなら説明しておきたい「接語」という文字列すらどこにも登場しないという難点があります。この点について、たとえば、次の下地(2020: 44)が非常に啓蒙的な議論を与えています。

形態論において,いや言語学において,「語」という用語はあらゆる分析の基本単位である。これを曖昧にして理論構築を行うのは,1階部分を違法建築状態にしてタワーマンションを建てるようなものである。したがって言語学では,一部の抽象的な理論を除き,語に対してかなり真摯に向き合い,用語の整理と標準化を目指してきた(その学術史の簡便なまとめは Dixon and Aikhenvald 2002 参照)。これに対し,日本語学における語に対する態度はおおらかで,曖昧で,自由である。語という用語について日本語学内部でコンセンサスがなく,その明確な定義とも向き合わず,用語や解釈がだらしなく垂れ流される現状は,残念ながら本書〔『言語学第2版』ではなく『日本語学大辞典』〕の解説にも反映されている。

59ページ4行目

各品詞の「文法的」な機能として「名詞:事物を表す」や「動詞:事物の動き,変化,状態などを表す」などが考えられていますが,これはどう考えても「意味的」な分類だと考えるべきでしょう.「文法的」な機能というのは,たとえば名詞であれば,形態論的特徴として「数,格,所有者,あるいは定性に関する接辞をとることが多い」,統語論的特徴として「指示詞や定性の標識と共起する傾向にある」「そのままで述語の項として現れることができる」などのことを言います(斎藤ほか2015: 212).

59ページ21〜22行目

以下では,動詞が表す事態の枠組のことを,事態の基礎となるものという意味で「事態基」と呼ぶことにする.

どうやら機能言語学(functional linguistics)風に使われているようですが,それでもこの「事態基」という用語は町田健氏の独自の用語であり,初学者はあたかもこれが標準的な用語法なのだと勘違いしてしまう可能性が非常に高いでしょう.

60ページ7〜8行目・111〜112ページ

定性とは,ある事物が,同じ語によって表される他の事物とは明らかに区別されるという性質である.[...] 「定」とは,ある対象をその対象が属する集合の中で,聞き手が特定化することができる,つまりどの対象であるかを指示することができる,という意味であり,「不定」とはそのような特定化ができないという意味である.

一つ目の定義は極めて不適切(ほぼ確実に誤り)と言ってもよいほどに怪しく,二つ目の定義は正しくは「聞き手が指示対象を同定できると話し手が想定している」のようにするべきです(斎藤ほか2015: 158).

名詞句の指示対象のこのような〔「集合の中の唯一の対象である」(111ページ27〜28行目)という〕特徴を「特定的」(specific)という [...] 名詞の指示対象のこのような〔「集合に属するすべての要素」(112ページ2行目)という〕特徴を「総称的」(generic)という.

これも「唯一」である必要はなく,「話し手が特定の事物を想定しているか否か」と定義するべきです(斎藤ほか2015: 158).特定の反対は不特定(non-specific)であり,不特定のなかに総称(generic)があります.

この箇所に限らず,このように話し手や聞き手の態度だけで定義できる概念を意味論的に定義してしまっているので,却って不明瞭な説明になっていることがあります.

61ページ22〜23行目

句に何らかの語が付加されて文法的機能が表されている単位を,本書では「」と呼ぶ9)

9)「群」という名称は一般的に使用されているものではない.しかし,日本語文法で「句+機能語」という単位に対する一般的呼称がないため,本書では説明をできるだけ簡単にする目的で,あえてこの単純な名称を使用する.

橋本文法の「文節」や「連文節」に近い概念のように見えますが,ここでの「群」はそれよりも使い勝手の悪い概念であり,たとえば63ページの文と群と句に関する規則では,(11)を少し変形した「可愛い少年と少女が公園で小さなイヌと遊んでいた.」すら正しく説明できません.

63ページ1〜3行目

形容詞や副詞が言語に普遍的かどうかは議論の余地が大いにあります.

66ページ23行目〜67ページ2行目

この規則〔「ある語と,その語が表す事物や事態の枠組などの文法的機能を表す語が隣接する(後者が前者の直後に置かれる)という規則」(66ページ13〜15行目)〕に反して,たとえば次の(19)や(20)のような文が作られたとする.

(19)*花子ネコ見たを.

(20)*を見た花子ネコが.

これらの表現では,名詞の意味役割を表示するはずの「が」「を」という語が名詞とは離れた場所に位置している.したがって,「花子」と「ネコ」の意味役割が主体か対象のいずれかであることは理解できても,どちらか1つに決定することは不可能である.この結果,同じ文を聞くことで誰もが同じ意味を理解することが保証されないことになり,言語としての機能を不完全にしか果たすことができない.

日本語母語話者の大半は「花子ネコ見た」が「花子がネコを見た」を意味しているだろうと理解できるはずなので,この「したがって」という箇所には飛躍があります.そもそも,文法性を統語的曖昧性への忌避という観点から(単に動機づけるのではなく)説明してしまおうとすること自体が悪手だと感じます.

1つのまとまりのある意味は文という形式を通して(最終的には声の連続として)表わされるのであって,意味の表出は文の統語的適格性に依存しているが,文の統語的適格性と意味とは独立した概念である。「は太郎愛しているを花子」は意味的にも統語的にもおかしいが,有意味でなければ統語的にも不適格であるとは言えない。日本人であれば,「ヒラミヤがパミヤをヒッカリコマタキした」と聞けば,意味は判らないが,文としては日本語文の形をしていると判断するであろう。このことは文の形式をつかさどる統語法は意味と独立しているということを示している。先の「太郎iは太郎iをうらめしく思っている」やI want I to goなども「太郎は次郎をうらめしく思っている」やI want John to goと関連させて考えれば判るように意味的には何ら問題はないのであるが,統語的に不都合なのである。

柴谷・影山・田守(1982: 13-14)

67ページ脚注15

15)(23)〔Tom Mary loves.〕は,「メアリーが好きなトム」という意味を表すのであれば適格な表現となりうる.しかしこの場合,「XはYが好きだ」という事態を表示するための文としては不適格である.

この解釈はかなり文脈を人工的に設定しないと成立しませんが,むしろ「トムがメアリーは好きだ.」というTomの話題化だと考えればかなり自然な文脈を想定できるうえに,「XはYが好きだ」という事態を表示するための文として適格な表現にもなります.

77ページ29行目〜78ページ3行目・29行目〜79ページ2行目

事態のなかに主体と対象が含まれていて,動詞群に「られ(る)」のような特別の形態素を用いない文を「能動態」と呼ぶ.[...] 事態のなかには主体はあるが対象が含まれておらず,動詞群に特別の形態素が用いられる文を「受動態」と呼ぶ.[...]

このように,能動態と受動態はあくまでも,用いられる動詞の形が単純なのか,それとも特別の形態素が付加されたりしてより複雑になるのかという基準で区別される.

まず何よりも「文」を「態」とは呼びません.また,仮に上記の基準に従うと,たとえば I’ve loved you. と I’ve been loved. は動詞の形が同じなので能動態と受動態の区別はないということになります.そのため,能動態と受動態は動詞の形態が有標か無標かで定義されたり区別されたりするものではなく,動詞の結合価に関する(主に動作主を脱焦点化する目的をもった)操作だと考えるべきです.

121ページ11行目・122ページ28行目

非状態動詞のうち瞬間的に成立する事態を表す動詞は「瞬間動詞」ではなく「到達動詞」と呼ばれるのが標準的であり,122ページ28行目で定義されている「到達動詞」は非標準的な名称です(斎藤ほか2015: 4).

121ページ25〜26行目

到達動詞は,たしかに日本語のテイル形だと事態が実現した後の結果状態を表しますが,英語の進行形だと事態が実現する直前を表します(He is dying.「彼は死にかけている.」)(斎藤ほか2015: 4).

122ページ12行目

activity verbは「行為動詞」ではなく「活動動詞」と訳されるのが標準的です(斎藤ほか2015: 4).

123ページ(40)(41)

(40)洋子は本を3冊読んでいる.

(41)弘明は2キロ走っている.

(40)(41)のような文が全く使われないということはない.しかしその場合には,本を3冊読んだり,2キロ走ることがあらかじめ予定されていることが分っているという,特別の条件が必要となる.

まったく同意できません.

123ページ22行目(20240527追記)

「(43)太郎は学生ではない」の「ない」は助動詞ではありません.

★★☆

60ページ1〜2行目

前置詞や後置詞(つまり側置詞)は接続先の名詞の意味役割を表すこともできますが,空間関係などを表すこともあります.

60ページ4行目・21行目

この助動詞の説明では単なる動詞接辞も助動詞という「語類」に分類されることになり,実際に21行目では「日本語の助詞や助動詞は接辞の一種である」とされていますが,接辞に語類を設定するというのはさすがに一般的ではないでしょう.また,日本語の助動詞はたしかに接辞ですが,助詞のうち特に格助詞は接辞ではなく接語です.

68ページ9〜10行目

前置詞をもつ名詞群は,対象を表す名詞句の後に置かれる.

(25) A pretty cat was chasing a small mouse in the room. は (25') In the room a pretty cat was chasing a small mouse. とも言い換えられます.

69ページ18ページ

形態的類型論で「孤立語」「膠着語」「屈折語」に分類するのは古典的すぎるので,「統合の指標」「融合の指標」を用いて分類するのが教育的でしょう.

74ページ(38)(39)

個人的には,(38b)「太郎は友達と3人遊んだ.」は非文ではなく少し不自然(〜正文)ぐらいであり,(39b)「花子はメンバーから全員電話をもらった.」は非文ではなく正文であると感じます.

74ページ22〜23行目

「名詞句+は」を「主題群」と呼ぶことにすると,主題群は日本語では必ず文の先頭に置かれる.

一般論として主張されていれば目を瞑ることはできますが,「必ず」という強い限定がされていると看過できなくなるように思えます(日本語母語話者なら反例はすぐに思いつくでしょう).

75ページ(45)(46)

(45)「鳥は花子が庭にいると言った.」も(46)「太郎は買ってきた本を花子が本棚に置いた.」も非文ではなく正文であると感じます.

77ページ12〜14行目

関係代名詞を用いる言語(もちろん英語を含む)であっても,関係代名詞が表す事物が先行詞とここで言う「外の関係」にある関係節を作ることが可能であり,それはgapless relative(空所無し関係節)と呼ばれます(再述代名詞(resumptive pronoun)はここで言う「内の関係」に相当するので除外します).

83ページ1行目

句や文が語や形態素の「集合」であると言うのは少し誤解を招きます.というのも,序章(10ページ)で

集合とは,任意のもの(要素)が与えられたときに,それがその集合に属するか属さないかが明確に決まるようなものの集まりである.

と定義していたからです.ちなみに,この定義は数学的のみならず言語学的にも誤っており,正しくは「ものの集まり」を「もの」に修正する必要があります(前者のままだと「属さないことが明確に決まる要素」も集まりとして含まれることになってしまうからです).

102ページ(22)(25)

(22)「大きい紐」も(25)「大きい癖」も(少し文脈を探すのが大変ですが)問題なく言えるように感じられます.

119ページ14行目

Aktionsartは,ヴォイスと紛らわしい「動作態」ではなく,アクチオンスアルトや語彙的アスペクト(lexical aspect)と訳すのが標準的です(斎藤ほか2015: 4).

★☆☆

61ページ3〜6行目

「見た」は2つの形態素「見」と「た」から成るが,どちらの独立性も高いとは言えない.このことから,「見た」全体で1つの語とすることもあるが,一方で「た」を1語と見なす場合もある.

この文脈では学校文法などには触れていないので,後者のような流儀は,初学者向きの(一般)言語学の教科書では,そもそも言及するに値しないでしょう.

78ページ9行目

「花子は太郎に見られた.」の「太郎」の意味役割を「関与者」と呼ぶことはないと思われます.

86ページ8〜9行目

「任意」の使い方が数学とは異なるので注意が必要です.

98ページ18行目

「内」と「外」以外にも「境界」があります(たとえば位相空間論では内部・外部・境界です).

99ページ10〜11行目

「右」にない場合でも「左」ではなく「真ん中」にあるとする文脈も想定可能だと考えられるので,ここでの用語法に則ると,そのような「右」と「左」と「真ん中」を認める場合は排反関係ではなく反意関係だと言えるでしょう.

100ページ(14)(15)

「化学」には「科学」との混同を防ぐために「カガク」と「バケガク」の2つの読み方があり,「私立」と「市立」にはお互いとの混同を防ぐために「シリツ」に加えてそれぞれ「ワタクシリツ」と「イチリツ」の読み方があることを補足すると実感が湧くでしょう.

132ページ(64)(65)(20231020追記)

撤回いたします.

参考文献

風間伸次郎・山田怜央(2021)『28言語で読む「星の王子さま」——世界の言語を学ぶための言語学入門』東京:東京外国語大学出版会.

斎藤純男・田口善久・西村義樹(編)(2015)『明解言語学辞典』東京:三省堂.

柴谷方良・影山太郎・田守育啓(1982)『言語の構造:理論と分析 意味・統語篇』東京:くろしお出版.

下地理則(2020)「日本語学大辞典について」『日本語の研究』16(1): 42–50.

林範彦(2016)「書評: Alexandra Y. Aikhenvald The Art of Grammar —A Practical Guide— Oxford: Oxford University Press, 2015, xxiii+380pp.」『言語記述論集』8: 253–272. http://id.nii.ac.jp/1422/00000905/[2023年11月アクセス]

町田健(2004)「言語の多様性と類型」風間喜代三・上野善道・松村一登・町田健(編)『言語学』.第2版第13刷.57–140.東京:東京大学出版会.