最近まで知らなかったのですが、「くだらない」という語には二つの民間語源が存在しているようです。
一つ目は「百済に無い」というくだらないトンチですが、意外と信じている人が多いようです。これが間違っていることは「くだらぬ」という活用が存在することから示されます。
二つ目は「上方から下ってくる上等な酒に対し、下り物ではない江戸の酒は下等で不味いから」という説です。この説がいかに流布しているかは Google で「くだらない 酒」と調べるだけで驚くべき量のサイトがヒットすることからも窺えます。飯間浩明氏は次のような反論をなさっています。
これも、実はすぐに否定されなければならない説です。というのも、下り物の現れる以前の江戸時代初期、またはそれ以前に、「くだらぬ」の使われた例があるからです。たとえば、江戸時代の最初期に出た日本語・ポルトガル語の辞書『日葡辞書』に、〈この経の義がくだらぬ〔=このお経の意味が分からない〕〉と記されています。つまり、「くだらぬ」は、「意味が分からない」という意味で、昔から使われていたのです。意味の分からないものは評価が低くなります。そこから今の「取るに足りない」という意味の「くだらない」につながるのです。
自分は『日葡辞書』を持っていないのですぐに確認はできないものの、このような記述があることは下り酒説を否定するのに十分な根拠になるでしょう。なお、最近の記事では
「くだらない」の語源について「京都から関東へ下る上等な酒に対し、関東の酒を『下らない酒』と言ったから」という説がネットでは散見されます。でも、江戸時代の文献をどんなに調べてもそういう用例が出てこないんです。
と書かれていますが、これは「くだらない」という語が江戸時代に用いられていなかったということではなく、あくまでも「下り酒」という用例で用いられていなかったということだけを意味しているのでしょう。『精選版 日本国語大辞典』は次のように説明しています。
〘連語〙 (動詞「くだる(下)」に助動詞「ない」の付いたもの)
① 訳がわからない。意味がわからない。くだらぬ。
※歌舞伎・独道中五十三駅(1827)序幕「お株で、下(クダ)らなくなってゐるぜ。よくそんなに酒が飲めるの」
② 内容に乏しくて、取り上げる価値がない。取るにたりない。ばからしい。くだらぬ。くだらん。
※西洋道中膝栗毛(1874–76)〈総生寛〉一二「児戯(クダラ)ない失錯をすることがあるもんだ」
[補注]全体が形容詞のように意識されるため、「くだらなし」という文語形も使われた。「我が意気地なくくだらなき奴を見ぬき給ひてなぶり給ふにや」〔やみ夜〈樋口一葉〉五〕など。
意外と初出が新しいのは意外ですね。でもたしかに古文で出てくるような単語ではない気もするので割と納得感はあります。ちなみに『岩波国語辞典』では
「読みが下らぬ」「理が下らぬ」の意からという。
と語釈をつけていますが、個人的にはこれが一番納得しやすい説明でした。