相対論と剛体

相対論では剛体が存在しないことがあまり有名ではなかったようなのですが、実はランダウのバコテン(場の古典論)の第3章§15にちゃんと記載があります。

古典力学では, 剛体, すなわち, いかなる条件のもとでも変形することのない物体という概念を導入することができる. 相対性理論でも同様に, それが静止している基準系においてその大きさがすべて不変に保たれるような物体を剛体とみなさなければならないであろう. だが相対性理論は剛体の存在を一般に不可能にすることが容易にわかる.

たとえば, 軸のまわりに回転している円板を考えて, それが剛体であると仮定しよう. 円板に固定された基準系は, 明らかに慣性系でない. しかし, 円板の各要素ごとに, この要素に対して瞬間的に静止している慣性基準系を導入することは可能である. 円板の異なった要素は異なった速度をもつから, これらの慣性系もいうまでもなく異なっている. 特定の動径ベクトルにそって並んでいる一連の線素を考えよう. 円板が剛体であるために, これらの線素の長さは, 円板が静止していたときにもつ長さと同じである. 与えられた瞬闘にこの半径がそのそばを通り過ぎる静止した観測者によって測られる線素の長さも, この長さと同じであろう. なぜなら, 各線素はその速度に垂直であり, したがって, ローレンツ短縮は生じないからである. したがって, 静止している観測者によって, その線素の和として測定された半径の全長は, 円板が静止しているときと変わらないであろう. 他方, 与えられた瞬間に静止した観測者のそばを通過する円板のふちの要素は, ローレンツ短縮を受けるから, 全周の長さ(静止した観測者によって, その要素の和として測られる)は, 静止しているときの円板の周の長さより短いことになる. すなわち,(静止している観測者によって測られる)円周と半径との比は変化して, $2π$ に等しくなくなるはずである. このばかげた結論は, 現実には円板は剛体でありえず, 回転をはじめれば, 円板をつくる材料の弾性的性質に関係する複雑な変形を必然的に受けねばならないことを示している.

剛体の存在が不可能であることは, 別なやり方で示すこともできる. ある物体が, その1つの点に働く外力によって運動させられたとしよう. もし物体が剛体だとすれば, それらのすべての点は, 力の働いた点と同時に運動を始めなければならないであろう : そうでなければ, 物体は変形するからである. けれども, 相対性理論によればそれは不可能である. なぜなら, 特定の点に働いた力は他の点に有限の速度で伝えられ, したがって, すべての点が同時に動きはじめることはできないからである.

以上の議論から, 素粒子に関していくつかの結論がひきだされる. 素粒子というのは, その3つの座標と全体としての運動の3つの速度成分を与えることによってその力学的状態が完全に記述されるような粒子をさす. もし素粒子が有限の大きさをもつ, つまり広がりをもつものとすれば, それは変形不可能でなければならないことは明らかである. なぜかといえば, 変形可能という概念は, 物体の部分が独立に動きうるということと結びついているからである. しかるに, いましがた知ったように, 相対性理論は剛体の存在が不可能であることを示している.

こうして, 古典的(非量子論的)な相対論的力学においては, 素粒子とみなされる粒子は有限の広がりをもつことはできないという結果に到達する. いいかえると, 古典論の限界のなかでは素粒子は点とみなされねばならない*1·

*1:量子力学はこの事情を本質的に変えるけれども, その場合でも相対性理論は非局所的相互作用の導入をきわめて困難なものにする.