読書録:木村大治『括弧の意味論』

図書館でふと見つけたので読んでみた。第一部は読んでいて普通に面白いが、第二部は「超越論的なんちゃってビリティ」に関する議論と、次に挙げる類型とその説明(これらはバラバラの位置に置かれているのでここでは統合して引用する)が面白かった。

  1. 「いわゆる」「○○の言う」型:書き手は、括弧をつけた言葉が自分のものではなく、衆愚(あるいは対立する集団)の言葉であることを読み手に示す。そして、読み手も同じ立場に立って、一緒にそれを見下そう、と誘っている。(例)「進歩的文化人」が論壇とマスコミに闊歩した時代はすでに去っている。/いまやシミタケこと「議長」清水丈夫は(後略)
  2. 「あの」型:括弧をつけられた言葉には、たくさんの共示義がまとわりついている。書き手は「あなたも知ってるでしょ」という形で、それらを御輿のように一緒にかついで楽しむことを読み手に提案している。(例)呵々大笑小沢一郎前幹事長 完全勝利でも喉に刺さった骨
  3. 「実は」型:書き手は括弧によって秘密の知識を提示するが、読み手にはまだその秘密は共有されていない。「この週刊誌を読めば秘密が共有できるぞ」などと誘いかけている段階である。(例)極秘メモ流出!「内閣官房機密費」を貰った政治評論家の名前
  4. 「ここで言う」型:括弧をつけたものは、書き手の深い考えであったり、あるいは高い存在からの託宣であったりする。書き手は「君ならそれを理解できるよね」と読み手を持ち上げ、誘っている*1。(例)ものの世界を《かたち》づけていくことに他ならず、その結果として環境は様々な《かたち》の織りなす生きた絵画を(後略)
  5. 「○○だってさ」型:括弧の中身は、括弧をつけなくても面白い内容なのだが、「な、これは面白いだろ」という形でそれが提示され、書き手と一緒に面白がることが求められている。(例)〔宝くじを買って何に使うかと聞かれたおじいさんの答えが聞き取りにくかったというシーンで〕相原さんは画面の下に、「難民に寄付する」と、スーパーテロップを出したんです。

永井均『〈魂〉に対する態度』を読み直さないとなあと思うことになったが、他の議論は大して面白くなかった。

*1:また、括弧的現象であると考えた「半疑問」も、疑問形で問いかけるという形をとった事柄についての意見の是非を、私とあなたで共有しましょう、という共犯の誘いであると考えることができるだろう。