前書き
に触発されたので、去年の秋に id:modif_q さんを訪ねて京都に旅行した際の思い出を書き記しておこうと思う。
経緯
ミルの言う「精神の危機」が当時の私たちに降り注がれていた。id:modif_q さん、Q-rad.heart、あるいは彼人(singular they;日国「あの-ひと〔代名〕対称。近世、対等以下の人をさしていった。」)は特に悪性の病に罹患したようだった。
社会による個人の排除(死刑)が許されるのであれば個人による社会の排除(自殺)も基本的人権の一つとして許されうるかもしれないが、自殺はただ単にすべてを黒く染め上げてしまい、後には往々にして何も残らないどころかやり場のない憎しみがひっそりと地面に染み付くだけだろう。たしかに太宰治は、自殺によってその文学性を完成することに成功したかもしれない。しかし、芥川龍之介もそうであったのか、あるいは単なる近代医学の敗北をまざまざと示しただけにすぎないのか、私には断言できない。そして何よりも、私たちはもはや明治の文豪にはなれない。私は、精神の危機を打破すべく京都に向かうしかなかった。
収穫も蒔いた種も
東京から京都へと向かうにはどうすればよいか? 基本的には新幹線が最も簡便な手段だが、銭コアなき若者は夜行バスという近代的な機構を用いるのが一番楽だ。早朝の京都駅には雨が降っていて、私は戦争の次に雨が嫌いである上に、東京とは全く性質の異なる非常に込み入った立体構造をなしており、しかも牛丼屋を除いて店という店が閉まっている。どうにかしてバス停を探さねばならなかったが、Google Map がほとんど訳のわからない道ばかり提示してくる上に、地下道のシャッターが閉まっていて進めないという状況が三回ほど続いた。あまりに厭になったので吉野家で牛丼を食べ、どうすればよいのか真剣に考えたが、結局バス停を見つけられたのは三十分後のことであった。そして京都のバスというのは、どうやら距離によらず一定の金額を運賃として要求するようなのだが、そんなことは全く知らなかったので「いくらですか」と後ろに列がある状態で聞き、両替にもたつき、そしてお釣りが出ないことに気づかず数十円ほど無駄にしてしまった。
バス停を降りて数年ぶりの再会を果たした私たちは、まず彼人の家に上がることになった。極めて乱雑に配置された大量の数学書とメモの山を踏まないように荷物を床に置いて、まずは Grothendieck を読むことになった。それは全訳計画を立ち上げたからということでもあるが、とりあえず私の滞在期間では『収穫と蒔いた種と』(Récoltes et Semailles、RetS)ぐらいがちょうどよいだろうという結論になったからだったと思う。現代数学社から出ているのは第一部から第三部までであり、第四部は私家版として二百部しか刷られていないが、京都大学は見事にそれを所蔵している。それにしても、(非常に素晴らしいことに世界中でも日本語でしか成功していない!)翻訳が完成している原稿を途中までしか出版しないまま数十年も放置するというのは、当事者同士の間では色々な事情や感情があるのだろうが、二十世紀を一秒たりとも生きたことすらない私たちからすれば正直ただただ迷惑なだけだ。
twitter.com総合図書館でグロタンディークの「収穫と蒔いた種と」『数学者の孤独な冒険』『数学と裸の王様』『ある夢と数学の埋葬』を借りてきた。彼が亡くなったのに、誰にもこの本が借りられていないとは、最近の若い学生にとっては最早英雄ではないのかしら。 pic.twitter.com/L3z9ewxgG2
— 🥑 (@yujitach) 2014年11月17日
いえ、最近の若い学生にとってはただの「57おじさん」になっていますよ。
それはさておき、私たちは改めて RetS を読んで「望月先生と似たことを言っているねえ」という感想を持った。具体的にどこが似ているかというのは忘れてしまったし、もちろん到底似ても似つかない箇所もある。たとえば次のような文章は Grothendieck しか書かないだろう。ただし、辻氏の訳では(意図的に隠しているのかそもそも読解に失敗しているのかわからないが)掛詞が全く読み取れないようになっているので、拙訳を亀甲括弧〔〕内に訳注を示した上で提示する:
どんなに貪欲な野心を持っていても、ほんのわずかな数学の命題さえ発見したり証明したりするのには無力であるということも事実です。それは(たとえば)「(適切な意味で)勃起させる」のに無力である〔impuissante;性的不能である〕のとまったく同じことです。女性であれ男性であれ「勃起させる」のは、野心でもなければ、目立ちたい〔briller;オーガズムに達したい〕とか力を(この場合には精力を)誇示したい〔exhiber;さらけ出したい〕とかいう願望でも全くありません。むしろその逆です! そうではなく、逞しくもありつつ強い存在感を伴いながら非常に繊細でもあるもの〔勃起した男性器〕について、鋭く認識することなのです。それは「美」とも言えますし、これこそがこういった事柄が示す無数の様相の一つなのです。もちろん、野心的だからといって必ずしも存在や物の美を時折にでさえ感じなくなってしまうわけではありません。しかしながら、私たちにその美を感じさせるのが野心ではないということは確かです……。
なるほどたしかに野心は美を感じさせないのは確かかもしれないが、しかし JK〔ジェイムスキッチン〕はどうだろうか?
このハンバーグを数年ぶりに会った先生と一緒に三人で食べた後に、RIMS の周りをブラブラしながら「多様体を層の言葉で定義すること」や「逆像が像よりも良い性質を持つこと」や「宇宙際 Teichmüller 理論の本質的な改良」についてご教示いただいた。暗闇がとても美しく映えていた一日だった。
Q IUT理論は拡張されたのですか。
A 少し拡張したことは事実ですが、現在、共著者と共に執筆中の未完成な論文にあるような、より抜本的な拡張・一般化と比較すると、かなり軽微な拡張です。
京大散策
朝とは、天下一品総本店までの長い距離を歩いて麺に食らいつくことにより始まる有限の時間のことである。
京大の図書館でいくつかの本が読みたくなったが、当然入れるわけがないので借りてきてもらって大学構内のカフェで読むことにした。
突然「雀荘に行こう」と誘われたが、私は麻雀のルールを全く知らなかった(今も知らない)し、覚えられる気もしなかった。しかし「エスジボックス」という名前をしきりに口にしていたので、外装を少し観察するぐらいならバチも当たらないだろうかと思っていたら、何と「理学部自治会 BOX(S自BOX)」のことだった。
いざ入ってみると別に麻雀は存在しなかったが、数学科の人(後でこの方を Twitter で一方的に知っていたと気付いた)が緑色の『環と加群のホモロジー代数的理論』を読んでいた。そんなもんなのかと思っていたら、せっかくだし京大に行った中高時代の友人と一年ぶりに会いたくなってきた。LINE を打ってみると来れるとのことだったので待っていると、全く変わらない姿でその友人は現れた。「変わらないね」と口を衝いて出た言葉は「君の方が変わらないよ」という返事によって抱合された。論理学の授業を取っているのだと講義資料を見せてくれたが、いくつかの会話を交わすと京大の授業をそれなりに楽しんでいるのだろうということがわかった。
そして湧源クラブの集まりで会ってから数年は存在すら認知し合わなかった方とも再会できた……というのは少し不正確で、この数日前に会っていたのだった。相変わらず奇声を発するのが得意なので安心したが、何よりも安心できるのは「本当はマトモな人だ」ということが自他ともに認識されているからだ(要は良い意味で「エセ異常者」なのだ)。ところで、なんで「多変数複素関数論」って the theory of functions of several complex variables なんだろう、multivariable っぽそうなのにな。
それにしても、京都には絶対に住めないなと実感する毎日だった。人が住む場所というのは、少なくとも自転車で轢かれそうになるヒヤリハットが一週間に一回以下でなくてはならないだろう。私はこの短い滞在期間の中で自転車によって轢かれも轢きも一回ずつしかけた上に、体幹が歪んでいるので自転車を真っ直ぐ乗るということができない。京大に行きたいと憧れていた気持ちは、この異常とも言える自転車の通行量によって一瞬で潰えてしまったというわけだ。せめて、セグウェイにしてくれないだろうか。自動車の免許を取るには数十万円という法外な金額が提示されるのだから。
ぶぶ漬けの受容
その自転車を漕いで、私たちは彼人と親密な関係にある後輩と会うことになった。しばらく立ち話をして解散することになったのだが、私が京都を発つ前日かそこらに京都駅に立ち寄ってくれて、おすすめの食事処や観光名所を教えてくれた。具体的に言うと、京都駅内のお茶漬け屋さんだった。あれ? これもしかして〈ぶぶ漬けいかがどすか?〉(Kyotoite Bubuzuke)っすか? しかしですね、我々関東人はあなた方ほど伝統や歴史がないおかげでですね、そういった不可知論的な曖昧性を含む提案をすべて ASD 的に都合よく自動補正することができるんですよ!
実際に美味しかったので別にそういう意図があったわけではないのだろうと安心した。しかし、もしこの美味しさも含めて Kyotoite Bubuzuke の一端を担っているのだとしたら、今すぐに首都機能を少なくとも二分割すべきだろうと私は思う。ああ、ただ一つ実感したことがあって、どうやら「京都市にいる人たちは共通語を喋る」と考えられている節があるようなのだが、少なくとも京都駅のスタバやお土産屋さんですら東京方言とは割と異なるアクセントとイントネーションで喋っているのでビックリした。
別にそれに対する価値判断を下したいわけではない(そういう下らない話をしたいのではない)のだが、やはりアクセントはそう簡単には変化できないという言語学の一般則を改めて実感した。自分の「エセ京都弁」や「エセ大阪弁」は本当に「エセ」でしかないんだろうなあ(どの括弧内の語も[要定義]として読んでください)とフラペチーノを飲みながら思った。
日常への回帰
というわけで無事夜行バスで帰ることになった。今度は新幹線で行けるように経済力を高めていきたいものだと思ったが、この去年の秋から今年の春までに一体どんなことがあったのかを語ろうとすれば、それはきっと小説一個では足りないだろう。#2 は次に京都を旅行することになってから書かれることになるが、今のところ特に予定はない。