誤読され続けてきた 2000年 慶應文学部 英語から見る to 不定詞の massive pied-piping

薬袋 (2003) で2000年の慶応文学部の問題が議論されていました. 色々思うところがあったのでメモしておきます.

以下の英文は, イギリスの小説家で元バーミンガム大学英文科教授の David Lodge (1935-) のエッセイ “Why Do I write?” (1986) である.

とあり, 冒頭の一段落は丸々次の通り. 下線部が和訳を求められた箇所です.

At the age of fifty, and with a dozen or so books published, it does not seem tautologous to say that I write because I am a writer. To stop writing, not to write, is now unthinkable―or perhaps it is the secret fear to assuage which one goes on writing. My sense of my own identity is so intimately connected with my writing that if I ceased to write I should become, in Orwellian* language, an unperson to myself.


Orwellian: オーウェル風の. George Orwell (1903-50) イギリスの小説家. Orwell は小説 Nineteen Eighty-Four (1949) のなかで, “unperson” という語を用いている.

下線部以外を日本語に直すとこんな塩梅でしょうか.

齢五十にもなり本も十数冊出版したものだから, 私は物書きだから物を書くのだ, といっても同語反復にはならないだろうと思う. 執筆を中断し終了してしまうなど今や考えられない. いやあるいはひょっとすると, it is the secret fear to assuage which one goes on writing. 私が私であるという意識は物を書くことに実に密接に結び付けられているから, もし書くのを辞めてしまえばオーウェルに言わせれば自分に対して unperson になってしまうはずだ.

全く信憑性はありませんが, https://w.atwiki.jp/antisakamoto/pages/2.html を見てみるとどうやら次のような解釈があるようです.

  1. it は代名詞 (指示内容...?) で, which は関係代名詞. 実はwhichの直前にwithがある (慶應or筆者の間違い)
  2. it is ... which は強調構文. 焦点: the secret fear to assuage
  3. it は which節を真主語とする形式主語
  4. it is ... which は強調構文. 焦点: 擬人化されたthe secret fear to assuage で, To stop writing is unthinkableという気持ちを強調. or: if I stop writing. one: the secret fear to assuage. goes(三人称単数現在): the secret fear to assuageを第三者の動作として捉えている(擬人法). the secret fear to assuage: unthinkableな人(文脈的にI)の, 自分ではコントロールできない気持ち。To stop writing, not to write, is unthinkable ── if I stop writing, the secret fear to assuage will go on writing. (XX ── YY: YYはXXに対する修飾 (To stop writing is unthinkableの強調))

まず 1 は論外です. 読めなかったからといって大学や筆者の間違いに帰着させるのはみっともありません. 3 も論外. 代ゼミの解答速報と上のサイトでは書かれていますが, きっとまさかそんなはずがないと思います. 4 に関しては不可算名詞を one で受けるなどと考えているのがあまりにアクロバティックで採点官もたまったものではないでしょう.

問題は 2 です. なぜこの読みが間違っているのかというと, 強調構文であるなら that 以下に空所が開いていなければおかしいはずですが, この場合は存在していません. もちろん統語論的には writing の後に入りえますが文脈からおかしいことはすぐに理解されるはずです. どうやらこの読み方で「人が書きつづけるのは隠れた不安を静めるためなのかもしれない」と訳しているらしいのですが, それなら it is to assuage the secret fear that one goes on writing. となるでしょうし, おそらく著者が言いたいのもこの文に近い意味のはずです.

追記. 高橋 (2001) の pp. 81-82 に記載がありました:

この問題のポイントは、文構造が見えているかどうかであります。it が先行する文中の要素を受けているものなのかどうか、つまり、to stop writing, not to write が it の中身なのかどうかの判断をしなければなりません。it が先行する文の要素を受けている場合には、「それは…だ」という訳文になります。しかし、「執筆をやめることは、書き続ける和らげるべき密かな不安である」では意味が通じないことから、切り口を変えて読み直す必要があることが分かります。訓練を積んでいれば、ここで、it is … that 〜 の強調構造で、that が which に置き換えられる場合があることを思い出すことができます。問題の英文は、one goes on writing the secret fear to assuage を it is … which 〜 の強調構造に書き換えたものです。意味上は、it is in order to assuage the secret fear that one goes on writing と同じです。secret は「密かな(隠れた;心の奥底の)」の意味。secret fear は「密かな不安(恐れ)」、assuage は「和らげる(静める)」の意味。to assuage は fear を修飾している不定詞。強調されているのは、the secret fear to assuage であって which 以下の部分ではありません。go on — ingは「——し続ける」の意味。one は総称人称代名詞なので訳出しないのが自然な日本語ですが、ここでは「人は」としてもよいし、これを I に振り替えて訳してもよいでしよう。「人が書き続けるのは、和らげるべき密かな不安なのである」という直訳でも得点できるでしょう。「人が書き続けるのは、密かな不安を和らげるためである」くらいにまとめることができれば上々です。構造を取り違えて it を「それ」と訳出している場合には英文の構造認識ができていないことになるので、配点のすべてを失う可能性があります。

以下で見るように, it を「それ」と訳出している場合には英文の構造認識ができていることになるので, 配点のすべてを得る可能性があります.


ネタバラシをすればこれは massive pied-piping と呼ばれる現象です. 実は前に

が massive pied-piping であると説明したことがあり, たしかにこれも統語論的には当然ありえるのですが, 実際には不適切で I choose [what seems...] to walk in. → I choose [that [which seems...]] to walk in. → I choose [that] to walk in [which seems...]. という関係詞節の外置として捉えるのが適切です.

この文はどうにも物議を醸したようで, 一番尤もらしい意見は I choose what seems to be the straightest and cleanest to walk in. という tough 構文を想定するものでした。なお, Literature and Language (a blog in Japanese by The OED Loves Me Not): "I choose that to walk in which seems to be...." の構造は? のように「to walk in が挿入された」と, 率直に言えば訳の分からない意味不明な説明をする方も見受けられました. ちなみに原文は “Vel inter varios, qui ejusdem viae sunt et eodem tendentis, calles eum seligo qui minime sinuosus caenosusve apparet?” なのですが, これを見たところで問題の文の構造について議論が特に深まるかというとそういうわけではありません.

massive pied-piping の例を Heck (2008) からいくつか引いてみましょう.

(12) a. This half-literate good-for-nothing, [DP the absurdity of wanting to marry whom]$_3$ $t_3$ is eclipsed only by your aunt’s desire that the wedding should happen, ...


(42) Reports [DP the covers of which]$_2$ the government prescribes the height of the lettering on $t_2$ almost always put me to sleep.


(44) a. Egbert, [VP to visit whom]$_2$ we decided yesterday $t_2$, ...
b. *Egbert, we decided yesterday [to visit whom] ...

など. 本当は後ろの方にもっと色々あるのですが, 上手く数式が表示できなかったので割愛します. 他にも薬袋氏は宮田 (1970) から次の文を引用しています.

For two or three days Madame Berger looked dreadfully worried, but then, whatever the difficulty was, it was settled; she dismissed, however, the maid to keep whom had been almost a matter of principle. ―Maugham: Christmas Holiday

2、3日のあいだ、マダム・ベルジュはとても困っている様子だった。しかし、その困っている問題が何であったにしろ、それは解決した。それにもかかわらず、彼女は女中を解雇した。マダム・ベルジュは、女中を使うということをそれまでほとんど当然のことのように思っていたのであるが。

すなわち She dismissed the maid. と To keep the maid had been almost a matter of principle. が関係詞により結ばれているわけです.

では it is the secret fear to assuage which one goes on writing. はどうなるかといえば, これはもう簡単です. It が「執筆を中断・終了すること」を指しており, It is the secret fear. と To assuage the secret fear, one goes on writing. が結ばれているというわけです. この one は (行方氏の説明を援用すれば) egotism の回避に誘導される婉曲的一人称であり, I go と変えてもおおよそ意味は変わりません. 薬袋氏は「それが密かな恐怖になっていて、その恐怖を静めるために人は書きつづけるのかもしれない」と訳しています.

ちなみに慶応は massive pied-piping の難問を出題していて, たとえばこれは割と有名問題です.

Soon we came to a hill at the foot {in which / of which / which / whose} stood a deserted factory.

これは We came to a hill. と At the foot of a hill stood a deserted factory. が結びついています.


ではなぜ massive pied-piping などというものが必要なのでしょうか? 北村先生は次のような名解説を与えてくださっているのでぜひ拝読しましょう.

上のツイートに続くリプライツリーはあまり適切ではないことをすでに本稿の中ごろで説明しましたので留意してください.

参考文献

Heck, F. (2008). On Pied-Piping: Wh-Movement and Beyond. Mouton De Gruyter.
高橋善昭. (2001). 『英文要旨要約問題の解法』. 駿台文庫.
宮田幸一. (1970). 『教壇の英文法』. 研究社.
薬袋善郎. (2003). 『学校で教えてくれない英文法』. 研究社.