読書録:「ギフティッドの居場所をつくる―その理解と受容から」

昔は「ギフテッドなんて胡散臭い非科学的なレッテルは廃止すべきだ」という態度を大して調べもせずに取っていたのですが、これを読んで今までの立場を全て撤回する必要があることを痛感しました。

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何が胡散臭く感じられたかというと「ギフト」という特権意識がキモすぎるという点なのですが、アメリカを中心に発展した概念だと書いてあったのを読んで「やっぱり In God We Trust の国で生まれたパターンか〜」と納得しました。実は「ギフテッド」という言葉が嫌いな人は一神教的な思考法に嫌悪感を感じているのではないでしょうか。たしかに、ヒトが神に似せて造られた(創世記1:26)ということを本気で信じているというのは日本人にあまり馴染みがないというか、もしかすると狂人にしか見えないのかもしれません。やっぱり日本では今存在している「特別支援学校」に類する形で導入するのがよいのではないでしょうか。第一種(甲類)特別支援学校と第二種(乙類)特別支援学校みたいに。そこの差でスティグマが生じるんじゃないかと言われると、まあそれは「高い方も低い方もその苦しみに差はない」みたいな話かと*1。ただ、どちらの場合にも注意すべきは次の点です。

ギフティッド児であっても、通っている学校でさまざまなことに挑戦でき、十分適応できていれば、マーランド・レポートに懸念されているような問題は生じにくく、特別な教育的配慮は必要なくなるということになります。その子が今通っている学校で喜んで日々過ごしているのに、「才能があるから」といって、無理やり制度的に整っている学校へ移籍させるなどは、ギフティッド児への教育的配慮とはかけ離れた教育的構えとなります。

日本でギフテッド教育を叫んでいる人たちの中には無理やり「移籍」というより「隔離」させようとするような態度の人が目に付くことがあって、そこもたぶん大いに反感を買っている点だと思うのですが、やっぱりちゃんと良識のある方が主導なさっているんだなと安心しました。

個人的に最も大事だと感じたのは第4回の記事です。

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あー、これはやっぱり誤診が大問題になるわけだ……というか、脳の発達レベルでちゃんと違うって分かってるんだったら間違いなく「ギフテッドという概念は実在する」ことが言えていますから。たぶん『ギフティッド: その誤診と重複診断―心理・医療・教育の現場から』をちゃんと読んだ方が良いっぽいな。もちろんギフテッド側に対しても配慮したいからというわけでもありますが、発達障害側に対しても適切なケアが受けられるようにちゃんと分離すべきということでもあります。

*1:こういう話になるのが面倒だから小学校受験や中学受験が流行るんでしょうね。