IOL 2014-1 ベナベナ語

はじめに

Twitter で次のツイートが話題になっていました。

この記事では「地頭など要らない」と主張するために、どのような手法で言語学オリンピックの問題を解いていくのかわかりやすく書いておきます。

前処理

まずは黙って頻度解析をし、簡単にわかる部分は色を塗ってしまいましょう。

ベナベナ語 和訳
1. nohobe 私が彼を殴っている
2. kahalune 私たちが君を(未来に)殴る
3. nokoho’ibe たち二人が君を殴っている
4. nolenufu’inagihe たち二人が君たちを刺しているから
5. nolifi’ibe たち二人が私たちを刺している
6. nofunagihe 私が彼を刺しているから
7. nofine 君が彼を刺している
8. nifila’ibe たち二人が私を(未来に)刺す
9. nonahatagihe 君が私を殴っているから
10. lenahalube 私が君たちを(未来に)殴る
11. nahalanagihe 君たちが私を(未来に)殴るから
12. lahala’ibe たち二人が私たちを(未来に)殴る
13. nofutagihe 私たちが彼を刺しているから
14. lenifilu’ibe たち二人が君たちを(未来に)刺す
15. noho’inagihe たち二人が彼を殴っているから

これで前処理は終了です。

文末

しかし「から」に相当するのは本当に agihe なのでしょうか。もしかすると gihe なのかもしれませんし、あるいは nagihe/tagihe が何らかの要因によって使い分けられているのかもしれません。改めて、これらを含む部分を整理して抜き出してみましょう。

ベナベナ語 和訳
4. nolenufu’inagihe たち二人が君たちを刺しているから
6. nofunagihe 私が彼を刺しているから
11. nahalanagihe 君たちが私を(未来に)殴るから
15. noho’inagihe たち二人が彼を殴っているから
9. nonahatagihe 君が私を殴っているから
13. nofutagihe 私たちが彼を刺しているから

ここで 6 と 13 に注目すると違っているのは主語だけなので、nagihe/tagihe の選択は主語に依存して決まるのだろうと判断できます。nagihe が使われているのは一人称の単数形および双数形と二人称の複数形であり、tagihe が使われているのは一人称の複数形と二人称の単数形です。

とすると、そもそもベナベナ語には「文末が主語に応じて変化する」という性質があるのではないでしょうか。残りの be/ne もそれぞれ抜き出してみましょう。

ベナベナ語 和訳
1. nohobe 私が彼を殴っている
3. nokoho’ibe たち二人が君を殴っている
5. nolifi’ibe たち二人が私たちを刺している
8. nifila’ibe たち二人が私を(未来に)刺す
10. lenahalube 私が君たちを(未来に)殴る
12. lahala’ibe たち二人が私たちを(未来に)殴る
14. lenifilu’ibe たち二人が君たちを(未来に)刺す
2. kahalune 私たちが君を(未来に)殴る
7. nofine 君が彼を刺している

be が使われているのは一人称の単数形および双数形と二人称の双数形であり、ne が使われているのは一人称の複数形と二人称の単数形です……これは上の

nagihe が使われているのは一人称の単数形および双数形と二人称の複数形であり、tagihe が使われているのは一人称の複数形と二人称の単数形です。

と見事に対応しているように思えませんか? これらが一致していないと想定することは可能ですが、そんな複雑怪奇な文法体系を話すのは極めて大変なので不自然ですし、何よりもそう答えさせたいのであればもっとデータを作問者が与えるはずです(これはメタいですが競技なので仕方ない)。したがって、

主語 「…する」 「…から」
一単双・二双複 be nagihe
一複・二単 ne tagihe

と整理されます。

動詞

周辺部が割と解明されたので、こういうときには対照実験的なペアを探しまくるのが鉄則です。

ベナベナ語 和訳
1. nohobe 私が彼を殴っている
3. nokoho’ibe たち二人が君を殴っている

異常事態です。普通に考えれば、両者はそれぞれ一対一に対応する形態素を持つ文なはずなのに、明らかに 1 の方が少ないです。とすると、衝撃的ですが「彼を」は言語学的ゼロ ∅︎ なのであって、共通する ho は「殴る」なのです。このことを(いわば検定交雑的に!)利用してみましょう。

ベナベナ語 和訳
1. nohobe 私が彼を殴っている
6. nofunagihe 私が彼を刺しているから
7. nofine 君が彼を刺している
13. nofutagihe 私たちが彼を刺しているから
15. noho’inagihe たち二人が彼を殴っているから

目的語が「彼を」で一致しているのに fi と fu が現れているということは、これも主語に応じて変化するということです。

  • 「殴る」は主語が一人称の単数形および双数形のとき ho になる。
  • 「刺す」は主語が一人称の単数形および複数形のとき fu になり、二人称の単数形のとき fi になる。

先ほどと同様に統一性を持たせるには、主語が一人称か二人称かで分岐が起きるのだと考えたくなります。他の文でも確認してみましょう。

ベナベナ語 和訳
2. kahalune 私たちが君を(未来に)殴る
3. nokoho’ibe たち二人が君を殴っている
4. nolenufu’inagihe たち二人が君たちを刺しているから
5. nolifi’ibe たち二人が私たちを刺している
8. nifila’ibe たち二人が私を(未来に)刺す
9. nonahatagihe 君が私を殴っているから
10. lenahalube 私が君たちを(未来に)殴る
11. nahalanagihe 君たちが私を(未来に)殴るから
12. lahala’ibe たち二人が私たちを(未来に)殴る
14. lenifilu’ibe たち二人が君たちを(未来に)刺す

なんと 2, 10, 14 が反例になってしまいますが、よく見てみるとこれらは全て未来時制であることに気付きます。先ほどのデータは全て現在時制だったので気付かなかったのですが、正しくは次のようになるはずです。

主語 「殴る」 「刺す」
一人称・現在 ho fu
それ以外 ha fi

次に未来時制を突き止めます。

ベナベナ語 和訳
2. kahalune 私たちが君を(未来に)殴る
10. lenahalube 私が君たちを(未来に)殴る
14. lenifilu’ibe たち二人が君たちを(未来に)刺す
8. nifila’ibe たち二人が私を(未来に)刺す
11. nahalanagihe 君たちが私を(未来に)殴るから
12. lahala’ibe たち二人が私たちを(未来に)殴る

lu が使われているのは主語が一人称のときであり、la が使われているのは主語が二人称(の双数形および複数形)のときです。もちろんこのデータだけだと、それぞれ目的語が二人称、一人称のときに相当してしまうのですが、一般的に動詞にまつわる変化は主語に影響を受けるということを考えるとここも主語に応じて決まるのだと想定するのが尤もらしいでしょう。

目的語

ここまで来ると「たぶん主語は代名詞として存在するわけではないんだろうな」と勘づいてくるはずです。では目的語を決定することにしましょう。

ベナベナ語 目的語
8. nifi 私を
9. naha 私を
11. naha 私を
5. lifi 私たちを
12. laha 私たちを
2. kaha 君を
3. koho 君を
4. lenufu 君たちを
10. lenaha 君たちを
14. lenifi 君たちを

どう考えても目的語の母音は動詞の母音と一致しています。

完成

以上をまとめるとベナベナ語の文は次のような順番で作られていることがわかります。ただし目的語が 3 人称単数の場合は ∅︎ になることが書かれていないので注意してください。

規則

全部説明できていることを改めて確認しましょう。

ベナベナ語 和訳
1. nohobe 私が彼を殴っている
2. kahalune 私たちが君を(未来に)殴る
3. nokoho’ibe たち二人君を殴っている
4. nolenufu’inagihe たち二人君たちを刺しているから
5. nolifi’ibe たち二人私たちを刺している
6. nofunagihe 私が彼を刺しているから
7. nofine 君が彼を刺している
8. nifila’ibe たち二人私を(未来に)刺す
9. nonahatagihe 君が私を殴っているから
10. lenahalube 私が君たちを(未来に)殴る
11. nahalanagihe 君たちが私を(未来に)殴るから
12. lahala’ibe たち二人私たちを(未来に)殴る
13. nofutagihe 私たちが彼を刺しているから
14. lenifilu’ibe たち二人君たちを(未来に)刺す
15. noho’inagihe たち二人彼を殴っているから

この規則がわかっていれば翻訳作業は「やるだけ」なので、あとは手の運動をしてみてください。

余談

残念ながら、ここでの考察は実際は正しくないことが知られています。次の Young (1964) を参照してください。

pnglanguages.sil.org

しかし問題文で与えられたデータからここまでの考察をするのは不可能ですし、競技である以上は制限時間が存在することを考えると、やはり「例文が正しく説明できる」ことと「不自然な文法体系ではない」ことと「問題なく翻訳できる」ことの三点が達成されれば後は深追いせずに他の問題に取り掛かるしかないでしょう。